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「自己変革3つのステップ」

2013年03月01日

ホリエモンは非難されるべきなのか?

尖閣諸島の問題に関して、
面白いニュースが飛び込んできました。


収監中のホリエモンがまた、
「尖閣諸島を中国にあげちゃえば」という議論を
蒸し返しているというのです。



収監されても、
有料メルマガで情報発信を続けているホリエモン。


そのメルマガの中で、最近の尖閣諸島問題を取り上げ、
中国には、
命を惜しまず戦争しようとしている人が大勢いるから、
その挑発に乗ってはいけない、と言うのです。


そして、以下のように書いたのだそうです。


「私が朝生に出演した際、「尖閣あげちゃえば」と
発言したことに金美齢が怒っていたが、
あーいう人にノセられて命を失うなんて割に合わない」


これは2011年2月4日放送の「朝まで生テレビ」で、
戦争するくらいなら尖閣諸島を
中国に差し出した方がいいと発言したときのもの。


そのときも激しいバッシングに見舞われたそうですが、
今回もまた同じ主張を繰り返し、
ネットで非難されているというものでした。



ニュースによれば、ホリエモンの提案に賛同する人は
ほとんどいないとのこと。


中には
「ホリエモンあげちゃえば? 日本にはいらない」
という意見もあったとか。




このニュースを見て、私は、
ホリエモンの意見が非難されるほどひどいものだとは
思えませんでした。


なぜなら、論理的には間違ったことを言っていないし、
これもまた1つの価値観だと思うからです。



たとえば、戦争という多大な犠牲を払ってでも
尖閣諸島を守る必要性があるのか、
という点に対するホリエモンの見方です。


海洋資源が豊富だと言うものの、
採掘のための多大なコストを考えれば、
割に合うかどうかわからないと言っています。


この意見が妥当かどうかは、私にはわかりません。


専門家が意見を戦わせて一定の判断が示されるまでは、
なんとも言えないことですから。


ということは、
ホリエモンが間違っているとも言い切れないのです。



次に、尖閣諸島を取られたら沖縄も取られる
という意見に対しても、沖縄は人が住んでおり、
これを侵略すれば世界中から非難されるので、
現実的ではないと言います。


この意見には私も同意します。


1つ譲れば10譲らなければならなくなる、
という考え方も間違ってはいません。


しかし、この1と10が質の異なるものなら、
必ずしもそうなるとは言い切れません。




「日本の領土を中国にやってもいいなんて、
売国奴の言うことだ!」


そういう非難をする人の気持ちもわかりますが、
ではそう言う人は、自ら率先して自衛隊に入り、
前線で中国と対峙することを切望するのでしょうか?


戦うのは他の人で、
自分は後方から「怯むな!戦え!」と言うだけでは、
フェアではないでしょう。



日本は、大きな敗戦を経験しました。


戦争は二度と行わないという誓まで立てました。


その価値観で臨むなら、それを実現する手段として、
領有権の放棄という選択肢もあって良いと思うのです。



もちろん、そうせずに済むなら、
それに越したことはありません。


そして、そうならずに済むように、
あらゆる手段を講じることも大事でしょう。


でもその「あらゆる手段」の中に戦争が入らないなら、
割譲もやむなしではありませんか。



実際問題、日米同盟があるからと言って、
必ずしもアメリカが守ってくれるわけでもありません。


ひょっとしたらアメリカから、
「そこは譲ってやってはどうか」と
持ちかけられるかもしれませんよ。


そうなったとき日本は、
中国ばかりかアメリカまで敵に回し、
再び戦争をするのでしょうか?


日本の尊厳を守るために、1億玉砕を覚悟して。



「それは極論だよ。そんなことには絶対にならないし、
ならないようにすればいいじゃないか。」


そう言いたいかもしれませんが、
それこそ自分に都合の良い論理です。


世の中は何が起こるかわからないし、
ましてや国と国との関係では、
厳密に言えば何かを規制する法は存在しません。


最終的に勝った側が規則を作るのですし、
従わない国を罰するだけの力がなければ、
従わせることもできないのです。



このように考えるので、
ホリエモンの意見が間違っているとは思いません。


これもまた1つの、有望な意見だと思います。


もちろん、それを支持するかどうかは別です。



そして論理的に間違った意見ではないのですから、
「中国に差し出せば」という1点で断罪されるのは
おかしいと思います。


ある意見を断罪し、
それを口にすることさえ非難するなら、
それは戦争当時の日本に逆戻りです。



戦前戦中において、
日本が間違った方向に進んでいると思う人はいても、
自由に意見を言うことすらできませんでした。


そんなことを言えば、「非国民!」と糾弾されました。


戦後、教師の多くが、自分が行なってきたことを
誤りであったと悔やんだそうです。


「お国のために喜んで命を投げ出せ」と、
愛する生徒たちを指導したからです。


「あの子を死なせたのは自分だ。」


そう言って、自分を責めたそうです。




国としての方向性は、
いつか政府によって決められるでしょう。


けれども、それに対して様々な意見があっていいし、
意見を述べることが糾弾されるようなことには
私は賛同しません。


仮にその意見が間違っているとしても、
意見を述べるのは自由です。


論理的に間違っていると思うなら、
穏やかにそれを指摘して反論すれば良いだけのこと。


糾弾、非難は感情的な反応で、
有無を言わさず相手を封じ込めようとする点で、
暴力と同じものです。


それをしていたら私たちは、
いつまでたっても自由にはなれないし、
幸せにもなれないと思うのです。
 
posted by ジャンメダイ at 21:50| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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