理想の自分と出合う。自分探しの方法が、ここにあります。

「自己変革3つのステップ」

2013年02月08日

体罰の背後に真犯人がいる

体罰の問題は、日本のお家芸でもある柔道の、
トップクラスにまで飛び火しました。


全日本女子柔道の選手15名が、全柔連の体質の問題を
JOC(日本オリンピック委員会)に告発したのです。


その前に全柔連に訴えた選手がいたのですが、
その訴えがまったく無視されたため、
組織の外に救いを求めたのだとか。


体罰をしたとされる監督とコーチなどが、
引責辞任しました。


しかし、単に監督らの辞任だけで
幕引きしようとする全柔連に対し、
訴えた選手たちは、組織の改革を迫っています。



その後のニュースでわかったのですが、
「先生方(コーチ)の慰労会」と称する打ち上げに、
選手たちが強制的に参加させられていたそうです。


その酒席では、お酌をして回ることも求められたとか。


上下関係が厳しく、断ることができなかったようです。



こういうのを見てみると、体罰を行ったこととか、
それが暴力と呼べるかどうかなどは、
本質的な問題ではないこと思うようになりました。


本質的な問題は、
自由がなく強制される人間関係にある、と思うのです。




酒席でお酌をさせられることなどは、
おそらく多くの組織であるでしょう。


私もそれを経験してきました。


嫌だと思う気持ちもありましたが、
好感を持っている先輩や上司に対しては
喜んでお酌して周りました。


そして後輩に対しても、
同じことをするように求めました。


それが組織というものだと思い、
組織力を高める方法だと信じて。



けれども、今考えると、
そういう上下関係というのが、
最大の問題だと思うのです。


上が命じたことに対して、
下は絶対的に服従しなければならない。


そういう上下関係が原因で、
体罰の問題が起こっていると思うからです。




絶対服従と言うからには、
「服従しなければどうなるのか?」
ということが語られなければなりません。


全柔連では、
それがオリンピック代表の選考権限でした。


全柔連に従わなければ、オリンピックに出られない。


どんなに実力があり、大会で優勝したとしても、
選ばれないことがあるのです。


これは、選手たちへの
強烈なプレッシャーだったでしょう。


ですから、暴力をふるわれても、
黙って耐えるしかなかったのです。



また、
暴力は絶対的に服従させるための武器でもあり、
服従しない場合の制裁でもありました。


「死ね!」と言って叩くのが、
愛情であるはずがありません。


自分の命令に従わないことに腹を立てて、
制裁しただけです。


その「従わないこと」ということは、
必ずしも意図的な反抗を意味しません。


自分が指導した通りに選手ができないことも、
自分の命令に背いたことになるのです。



ですから、制裁が必要だと感じたのでしょう。



なぜ制裁が必要だと感じるのでしょうか?


選手はその指導通りにやりたかったけれど、
未熟で、あるいは体力の限界で、
できなかっただけかもしれません。


それなのに、
どうして制裁する必要性があったのでしょうか?



それは、その命令がその人自身だったからです。


命令が守られないということは、
その人自身が否定されたことを意味します。



いえ、本当はそうではないのですが、
その人がそう感じたのです。


自分が否定されると不安になります。


そんなことは受入れられない。


だって、自分は上なのですから。


自分は完全に受入れられて当然で、
そうならないのは相手が悪い。


だから相手に制裁を加えて、
自分に対する忠誠心を見せることを強要し、
安心を得ようとしたのです。



暴力を振るったから悪いとだけ考えていたら、
この問題は解決しません。


これからも「つい手を上げてしまった」という人が
後を絶たないでしょう。


問題の本質は、
暴力を振るったかどうかではありません。


絶対服従の上下関係を維持させるかどうかです。


その関係を維持させている間は、
精神的に未熟な指導者が存在するでしょう。



子育ても同じですね。


親だというだけで、子育ての責任を押し付けられます。


その人が子育てするのにふさわしいだけ、
精神的に成熟しているかどうかは考慮されません。



今は指導者も、その分野で優秀だったというだけで、
指導方法を学ぶこともなく、指導者にさせられます。


精神的に未熟な人には選手の指導をさせない。


そういうコンセンサスができるまでは、
この問題があとを引きずることと思います。



相撲界のいじめや体罰も、同じ問題です。


学校の部活での体罰やいじめも、同じ問題です。


絶対服従すべき他人など、どこにも存在しない。


たとえそれが親子であっても、師弟であっても。


そこに気づくまでは、
この問題は解決しないと思うのです。
 
posted by ジャンメダイ at 18:59| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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