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「自己変革3つのステップ」

2012年12月18日

子育てが楽になれば多くの問題が解決します

昔は日本でも、
「女に教育は必要ない」と言われたものです。


男の子は大事に育てて大学まで行かせても、
女の子はせいぜい短大まで。


だから、女子短大がとても多いのです。


アフガニスタンとかバングラディシュなどでは、
イスラム教の影響もあって、
女性の教育が進まない現状がありますが、
日本もかつてはそうだったのです。



現在の日本は、
男女の平等がかなり進んだと思います。


いえ、私はそう思っていたのです。


しかし、指摘されてみると、
まだまだ進んでないところがたくさんありますね。


たとえば、出産を理由とした不平等です。



都会の待機児童問題もありますが、
子どもを生むと働きづらいという環境があります。


そのために少子化が進んでいるし、
それによって高齢化が急速に進行しています。


また、特に母子家庭では貧困問題があります。


子育てしながらでは、フルタイムの仕事や、
責任のあるポジションでの仕事がさせてもらえず、
パートタイムで働くことが多いからです。


このように経済的に自立できないことは、
女性が離婚を決断することを阻害します。


離婚されないことを良いことに、
夫の暴力を甘受させられる女性も多く、
DV(家庭内暴力)を助長することにもなっています。



このような現実がありますが、
逆にもし、女性が子どもを産み育てることが
何の不安もない社会であるなら、
それらの問題も解決するのではないでしょうか?




母子家庭でも生活が成り立つ安心感があれば、
女性は離婚に躊躇(ちゅうちょ)しないでしょう。


そうであれば、
不必要に夫の暴力を甘受することもありません。


安心して子育てができるとわかれば、
子どもを産む意欲も出てくるでしょうから、
少子化にも歯止めがかかり、
高齢化のスピードも遅くなります。



ただしこれは、子育てする女性の経済支援を
してあげることではありません。


そうではなく、経済的な負担をすることなく、
子育てを助け合う社会になれば良いだけなのです。



子どもは国の宝と言うならば、
子どもを育てるのは国の責任ではないでしょうか?


国の責任とは、すなわち私たち全員の責任。


つまりそれは私の責任であり、
あなたの責任だと言うことです。



子どもを産むことは、
残念ながら女性にしかできません。


だからそれは、女性にお願いするしかないのです。


けれども、
子どもを育てることは男でも協力できます。


もちろん女性でも、お年寄りでも協力できます。


そうやって少しずつ社会が協力し合うなら、
子育てに多大な負担がかかることは
なくなるはずなのです。




どうしてそうした、
わずかな協力ができないのでしょうか?


それは、子どもを所有物と考えているからです。


「私の子ども」という言葉には、
所有概念が含まれます。


「子どもは天からの授かりもの」とも言いますが、
こういう意識が薄れているのでしょうね。


授かったものであれば、
立派に育てて、いずれ天にお返しする
という意識でなければなりません。


それを自分のものだと思うから、
自分の子に平気で虐待をするし、
他人の子には無関心になります。


また、他人が協力しようとしても、
それを拒否したりします。


自分のものに触ってほしくないからです。



そういう所有概念を捨て、
コミュニティーで子育てをするのだと考えれば、
ずっと楽になると思うのです。




待機児童の問題は、
安く保育してくれるところがないのが問題なのです。


なぜ安くできないかというと、
乳幼児の保育には手間がかかるからです。


しかも、過大にリスクを回避しようとするため、
1人の保育士が担当する乳幼児の数が、
厳しい基準で制限されているからです。



考えてもみてください。


昔の母親は、乳幼児を何人も抱えながら、
家事もこなしました。


大家族の食事の支度や後片付け、
掃除洗濯を手作業でこなしたのです。


ですから、
多数の乳幼児を少数の保育士で預かることが
不可能なわけではありません。


しかし、それで何か事故が起こると、
すぐに責任追及が始まるため、
国は責任を負うことを怖れて厳しい基準を作ります。




ちょうど原発の問題と似たようなものですね。


リスクを100%回避しようとすれば、
そのコストは莫大になるのは当然のことです。



中には「少しくらいのリスクを背負ってもいいよ」と
言う人もいるはずなのに、
一律で基準を定めようとします。


それは基準を定める国だけの問題ではなく、
私たちの考え方がそうだからです。


少しでも外れた人がいれば常識外れだと批判し、
そういう人がいるから社会が悪くなるのだと非難し、
自分のコピーのような人たちばかりになれば良いと
本気で願うのです。


私たちがそう考えるから、
私たちの社会はこういう社会になっているのです。




保育の問題も、結局はそこに行き着きます。


どうして保育園は、
基準以上の広さがなければダメなのですか?


どうして保育園には、
基準以上の保育士がいなければダメなのですか?


基準以下でも良いという人がいるなら、
それでも認めれば良いではありませんか?



たしかに、
安さを優先して安全性を下げれば、
リスクは上昇します。


保育中の事故が発生することもあるでしょう。


でも、そのリスクを受け入れるしか、
コストを下げる方法はないのです。



リスクを負うのは100%嫌だと言う人は、
それに見合ったコストを支払えば良いのです。


安全性、快適性を追求すればコストが掛かる。


けれども、もしそれらの基準を下げるなら、
もっと安くできる選択肢がある。


そういう自由があることが、
暮らしやすい社会ではないのでしょうか?




今の日本は、あまりに画一的過ぎる気がします。


食中毒で数人死んだからと、
国民全員にある食べ物を禁止しなければ気が済まない。


本来は、きちんと処理すれば安全に食べられるし、
体力がある人なら、食あたりしても死なないのに。


何でもかんでも厳しく基準を決め、
それにしたがうものしか存在を許しません。


そんな窮屈さから、人びとはストレスを抱え
心の病気が増えています。



もっと楽に生きたらいいのに。



人間は本来、自由なのです。


基本的な人権などと言うまでもなく、
もともと自由なのです。


その自由を制限しなければと思い込み、
規則や基準でがんじがらめにするから、
喜びを感じられなくなっているのです。




幸せの前提は自由です。


思い切って、基準を見直すことです。


タブーを排除することです。


人が持つ本来の自由を取り戻すことが、
あなたの幸せにつながるのです。

posted by ジャンメダイ at 21:20| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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