理想の自分と出合う。自分探しの方法が、ここにあります。

「自己変革3つのステップ」

2012年12月06日

失敗という出来事は存在しません

失敗を怖れて何もできない。


そんな経験はありませんか?


私は、何度もあります。



私は完全主義者でした。


そう言うと聞こえがいいですが、
要は失敗を怖れていたのです。



失敗したら恥ずかしい。


失敗したら自分の価値がなくなってしまう。


それが怖ろしくて、不安で、
失敗しそうなことに挑戦しなかったのです。


挑戦しないのですから、失敗はしません。


やるのは、
失敗しないと思っていることだけですから、
その意味でも失敗はしません。


これが完全主義者の正体です。




でも、今は違う考え方をしています。


世の中に、
失敗という出来事は存在しないと思うのです。




それを失敗だと考える人はいても、
失敗という出来事は存在しません。


つまり失敗とは出来事ではなく、
単に出来事に対する意味付けであり、
価値判断なのです。




たとえば、大学受験に落ちたとしましょう。


出来事は、合格しなかったということです。


これを失敗だと決めるのは、自分の心です。




大学受験に受かることを目標として努力したのだから、
その結果が落第なら失敗ではないか。


そう思われるかもしれませんね。


けれども私は、
それも1つの見方に過ぎないと思うのです。



たしかに以前の目標はそうだったけれど、
あなたはもう目標を立てた時点の人間ではありません。


時間がたてば人は変わります。


変わることが可能だし、変わることが当然なのです。


落第したとき、それでもまだ目標を
過ぎ去った受験に置きたいのでしょうか?



落第は結果ですから、
いまさら変えることは不可能です。


けれども、
自分の見方はいつでも変えることができます。




今の目標は何ですか?


再受験ですか?それとも、他の道に進むことですか?


再受験を新たな目標とし、
今回の落第という経験を生かすなら、
落第という出来事は失敗でしょうか?


それは単に、
成功への途上と言えるのではないでしょうか?



また、進路を変更するという選択肢もあります。


そうして新たな目標ができたとき、
それは落第という経験がもたらした恩恵と
考えることも可能でしょう。


落第したから進路を変えることができた。


もしその新たな進路で、
自分がやりたいことと出会ったとしたら、
落第は失敗でしょうか?




出来事には何の意味もありません。


意味を与えるのは、あなた自身です。


他人がそれにどんな意味を与えるかに関係なく、
あなたはあなたの意味を与えるのです。



それが、自分として生きるということなのです。


posted by ジャンメダイ at 22:54| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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