理想の自分と出合う。自分探しの方法が、ここにあります。

「自己変革3つのステップ」

2011年09月26日

考え方を変えてみる

  タイには、不思議な習慣がある。


  カゴに入った鳥を買い、逃してやるのだ。


  鳥の命を救ったということで、徳を積むという。


  同様に、魚を放してやったり、
  象に餌をやることも徳を積むことになる。


  いずれも、ちょっと変だと感じるだろう。


  だって、わざわざ鳥や魚を捕まえなければ、
  逃がす必要もないのだ。


  象だって、捕まえなければ餌をやらなくても、
  自然の中で生きていくだろう。



  偽善。


  まさにその言葉がふさわしいと感じた。


  だがタイの人々は、まじめにそれらをタンブン
  (布施などで徳を積むこと)だと言う。



  ある日、公衆トイレに入った。


  降ろしてある便座がひどく汚れている。


  「いやだな。他のトイレに行くか。」


  そう思ったが、
  ふと考え方を変えてみようと思った。



  「ここに入ったのも何かの縁だしな。」


  私は用をたすために、
  ティッシュで便座をきれいに拭いた。


  「もし私がここに入らなかったら、
   この便座は汚いままだっただろう。」


  「次にここに入った人は、私と同じように
   嫌な思いをするに違いない。」


  「ということは、私が便座をきれいにすることで、
   次の人を喜ばせることになるのでは
   ないだろうか。」


  「そう考えたら、これは
   ラッキーなことかもしれない。」


  「だって私は、誰かを喜ばせる機会を
   得た
のだから。」



  そう考えた時、ある考えが浮かんできた。


  「考えてみると、私が便座をきれいにできたのは、
   その前に汚してくれた人がいたから
   とも言える。」


  「その人には私のためという意識が
   なかったとしても、結果的に
   私のためになった。」


  「ということは、便座を汚した人は
   私にとって恩人とも言える。」


  「こんな風に考えると、私にとって悪いことなど、
   何もない
のかもしれないな。」



  そんなことを考えながら用を足していると、
  またもう1つの考えが浮かんだ。


  「これは意識しているかしてないかの
   違いがあるだけで、解き放つための鳥を
   売ることと同じではなかろうか。」


  「便座を汚す人は、何も意識していなかった。」


  「一方で鳥を売る人は、それを意識している。」


  「自分はただ、
   その時に良かれと思うことをするだけ。」


  「それが誰かを喜ばせ、自分も幸せになれる。」


  「だからその機会を作ってくれた人は、
   私を手助けしてくれたことになる。」



  もちろん、最初から鳥は
  自由な方が良いのかもしれない。


  便座も、最初からきれいな方が良いのだろう。


  でも私は、汚い便座に出合った。


  捕まえられた鳥に出合った人もいる。


  そこが自分にとってのスタートだ。


  そこでどう考えるかが、
  自分にとっての問題なのだ。


  それを偽善と考えて、何もしないこともできる。


  悪いのは汚したヤツだと言って、
  見て見ぬ振りをすることもできる。


  それは、完全に自分にとっての自由。



  現実は常に、私自身の判断を求めてくる。


  「こんな状況ですけど、どうしますか?」


  そのとき、現実を生み出した原因を
  批判することもできる。


  だが、それで自分が何もしなければ、
  何もしないという選択をしただけなのだ。


  果たして、何もしないことが
  自分らしいことなのか?


  問われているのは常にそれだけなのだと
  考えることもできると思うのだ。



ラベル:考え方 偽善
posted by ジャンメダイ at 17:13| Comment(0) | オリジナル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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