理想の自分と出合う。自分探しの方法が、ここにあります。

「自己変革3つのステップ」

2010年12月28日

同性愛について

  この前、「同性愛の悩み」と題して書きました。


  すると、「同性愛」をキーワードとして検索された方が
  けっこういらっしゃったようです。


  私自身は同性愛者ではないのですが、
  このテーマはもっと掘り下げるべきだと感じました。



  タイに来るまで、私はゲイもオカマも嫌いでした。


  そう、「忌み嫌う」という表現がぴったりかもしれません。


  理由なんてないのです。


  ただ気持ち悪いと感じたのです。



  それがタイに来てから、少し感じ方が変わりました。


  だって、あまりにも日常的に、オカマちゃんがいるのですから。


  感覚が麻痺したと言えるのかもしれません。



  同性愛者の気持ちが理解できたわけではありませんよ。


  やはり私は女性の方が好きだし、
  男性を好きになるなんて考えられませんから。


  自分がそうなることを想像しただけで、
  オエーってなりそうです。



  でもね、同性愛者がそのままの姿をさらけ出すことには
  嫌悪感がなくなりました。


  だってそれは、彼ら(彼女ら)の個性だと思うからです。



  日本人は、比較的に宗教に疎いです。


  このことが幸いしました。


  キリスト教圏の人々は、「神が禁じている」と言われれば、
  反論することすら難しいのですから。


  実際、聖書には、同性愛を否定する言葉が書かれています。



  少なくとも日本では、神がどう言ったとしても
  関係ないと思う人が多いでしょう。


  ただ自分が「気色悪い」と感じてしまうことまでは
  否定できないだけです。



  でも、考えてもみてください。


  人の好みなんて、人それぞれだと思いませんか?


  「どんな色が好き?」と聞かれても、
  女性が必ずしも赤やピンクが好きとは限りませんよね。


  たとえば「黒が好き」という女性がいたとしましょう。


  たいていの人は、黒に対して悪いイメージを持っています。


  なので、「黒が好き」という言葉に反応して、
  「なんだ、こいつ。」と思うわけです。


  「変なヤツ」と言うわけです。


  自分たちとは感性が違いすぎて、理解できないのです。


  理解できないから、不安になるのです。


  できれば自分の圏外へ、いなくなってほしいと思うでしょう。


  だって存在すれば、自分が不安になるのですから。


  それが「気色悪い」という感情の姿なのです。



  人は元々、それぞれ異なるものです。


  それを個性と呼びます。


  個性があるからこそ、自分の存在意義があるのです。


  一卵性双生児でさえ異なるのは、まさにそうだからです。


  どこまで似ていても、必ず個性があります。


  自分が自分たる所以(ゆえん)なのです。



  しかし人は、個性があると感じながらも、
  人類としての共通性があるとも感じています。


  そのことが、「共通で絶対的な価値観が存在する」という
  感覚を呼び起こすのです。


  なぜ共通性があると感じるかというと、
  人間はもともと「ひとつのもの」だからです。


  ここでは詳しくは説明しませんが、
  興味のある方はこちらをご覧ください。



  共通の価値観が存在するなら、自分も当然、
  その価値観を共有しなければならないはずです。


  そうでなければ、自己の人間としての存在を
  否定されることにもなりかねませんから。


  存在が否定される可能性は、大いなる不安をもたらします。


  だから他人と同じ価値観を共有することを、
  確認することで安心するのです。


  それが、人が多数派に所属したがる理由です。



  しかし少数派が自己主張すると、急に不安になります。


  ひょっとしたら多数派としての安定した地位が
  脅かされるのではないかと感じるからです。


  その結果、多数であることを利用して、
  少数を攻撃するのです。



  中世の魔女狩りもそうです。


  学校のいじめもそうです。


  そして政治の世界もそうです。


  すべて、不安が原因で相手を攻撃しているのです。



  本来は、少数派の意見を尊重するという前提があって、
  はじめて認められるのが多数決です。


  本質的な民主主義は、全会一致なのです。


  つまり全員の存在意義を認めるということが
  大前提になっています。


  少数派の意見を尊重できないのは、
  多数派の心に巣食う不安が、非常に大きいからでしょう。



  同性愛は個性です。


  神が禁止するはずがありません。


  だって神は、人間に自由を与えたのですから。


  自由こそが人間の本質です。



  堂々と、「私は同性愛者です」と主張すればいい。


  そういう声が大きくなれば、
  誰も否定できなくなります。


  最初は周囲から責められて辛いでしょう。


  でも、負けないでほしい。


  自分が自分であることを捨ててしまったら、
  いったい何が残るというのでしょうか?



  かけがえのない自分です。


  自分とは、かけがえのない生命の一部です。


  「この部分は生命として不要」などと、
  一部を切り離せるものではないのです。


  全体の生命のためにも、
  どうか自分を捨てないでほしいのです。



posted by ジャンメダイ at 18:54| Comment(0) | オリジナル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
★ブログランキングに参加しています。★
1日1回、ポチッ↓↓↓とご支援ください。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。