就活の間違いじゃないの?
私もそう思いました。
でも、そういう言葉が徐々に広まっているようです。
終活というのは、人生のフィナーレをどう迎えるかを、
自分で決めて準備する活動のことです。
よく知られているのは、遺産相続はどうするかを決める遺言状。
葬儀や墓をどうするのかを、自分で決めておくというのもあります。
さらに進んで生前葬なんて、生きているうちに葬式というのも。
ここまでくると、かなり常識はずれという感じもしてきます。
さらにNHKの番組で紹介していたのは、死んだときに着る服装。
一般的には白装束と決まっていますが、
ここにも自分流を通したいという人が増えてきているようです。
番組で取り上げていたのは、その死装束のファッションショーです。
お気に入りの着物やスーツ、インドの民族衣装のサリーなんてのも。
日本は伝統的に、婚姻など祝い事は神式で、
葬儀などの忌事は仏式で行ってきました。
それが良いとか悪いとかではなく、ただそうするものだと言われ、
それにしたがってきたのです。
しかし今、それを見直す潮流ができつつあります。
結婚式も葬儀も、人前式という宗教色を排したものが増えたのです。
その前に結婚式では、キリスト教式というものがありましたけどね。
いずれにせよ伝統にとらわれずに、
自分らしいライフプランニングを考えるようになりました。
しかし、新しいものを導入しようとすれば、必ず抵抗があります。
「常識はずれ」「伝統に反する」くらいの批判は、
よく聞かれることです。
それどころか、「バチあたり」とか「社会秩序を乱す」など、
まるで絶対的な価値観を犯したかのような批判さえあります。
でも、よーく考えてみてください。
常識は、常に変わってきたのです。
同じ時代でも、場所が違えば常識も異なるのです。
伝統は、単に風習を積み重ねたもの。
伝統を守ることも大切でしょうけど、
伝統を打ち破ることも大切だと思うのです。
それが新しいものを作ることになるのですから。
守りたいと思うのも自由なら、変えたいと思うのも自由です。
それを自分の意に沿わないからと言って、
非国民のように責めることが間違いなのです。
非難する人は、なんとかして罪悪感を抱かせようとします。
そのために、権威の力を持ち出すのです。
倫理や宗教なども、そのために利用されます。
しかし、いつもその試みは失敗に終わります。
それは、人間の本質が自由だからです。
誰も、人の自由を奪うことはできません。
最後には、伝統も宗教も、マナーも法律も、常識も、
人の自由の前に屈服するのです。
終活なんて聞きなれない言葉を知って、
こんなことを真剣にやっている人がいるのだとわかりました。
死ぬ時くらい自分流を通したい。
その思いは、また一つの常識や伝統をぶち壊すことでしょう。
自分らしい終わりを迎えたい・・・。すごく真っ当ですね。
ただ、ビジネスチャンスとばかり、あれこれやるのはいかがなものかと・・・。
終活といえば、終活ファッションショーを開催した安田依央さんが
「終活ファッションショー」という小説を出されたので、
読みましたが、若い人でもちょっと終わりを意識すれば、
明日の生き方が変わるかも知れないと思いました。
終わりはいつくるか、分かりませんし・・・。
読後、「一期一会」という言葉がずっしりと身に染みました。
安田さんの記事を探してみましたら、沢山ありますね。
その中でも、かなりおもしろい切り口のサイトがありましたよ。
http://www.birthday-energy.co.jp
どうやら、色々挫折したみたいで、その経験が
いまの結果に繋がっているそう。
方向間違えなきゃ結果出せるんですね〜。
コメント、ありがとうございます。
古い記事ですが、心に響くものがあったようで、書いた私としても喜ばしい限りです。
今後ともどうぞ、よろしくお願いします。