理想の自分と出合う。自分探しの方法が、ここにあります。

「自己変革3つのステップ」

2012年10月24日

愛していることを伝える

今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



みなさんは、
自分が相手を愛していることを伝えるのに、
何をしますか?


「そんなの決まってるじゃない。
愛してるよって言うんだよ。」



そういう回答、けっこうあるかもしれませんね。


男性から積極的に「愛してる」と言う人は、
少数派でしょうか。


少なくとも50歳を過ぎている人だと、
あまりいないと思います。


いわゆる昔の人間ですね。


最近の若い人のことはよく知りませんが、
恋人や奥さんに、「愛してるよ」と毎日言ってますか?



おそらくこれは、
女性からの要望が多いのだと思います。


毎日「愛してるよ」って言われたい女性は、
けっこう多いのではないでしょうか。


私などからすると、「そんなこと言わなくても、
いつも心の中で思ってるよ」と言いたいところです。


私も、昔の人間ですから。


でも女性からすると、違うようです。


「いくら心の中で思っていても、
表現しないと伝わらないのよ。」



その意見には、私も同意します。


ただ、その表現方法として、
「愛してるよ」と言うことが良いのか?
という疑問があるのです。




「愛してるよ」と言うのは、
自分の感情の表現ではありません。


つまり、
どう感じているかを伝える言葉ではないのです。


では、何を伝えているのでしょう?



実はこれ、相手に自分のことを理解しろと
強要する表現
ではないかと思うのです。


目に見えないかもしれないけれど、
私はあなたを愛しているのだから、
それを理解しなさい(してほしい)
と言っているのです。


そんな言葉、言われて嬉しいですか?




私は、「愛してるよ」と言うよりも、
もっと良い表現を知っています。


それは、「ありがとう」という言葉です。



「えっ、なーんだ。」って思いました?


言い古されたことかもしれませんが、
これが絶大な効果を発揮します。


なぜかというと、この言葉は、
自分の感情を表現したものだからです。



相手に何も強要しません。


それによって、相手は変わる必要性がないのです。


だから受け入れられやすいのです。





たとえば夫婦喧嘩をしたとしましょう。


それぞれ価値観が異なるのですから、
意見の相違はあって当然です。


それを「相手の方が悪い」と考えるから
ケンカになります。


意見の違いは当然。
それを前提に、どうするかを考える。


それをしなければ、
愛していることにはなりませんよね。



それでも、腹が立つこともあるでしょう。


そんなとき、
ちょっと視点を変えてみてほしいのです。


ぶつかり合うのも、相手がいてくれるから。


相手がいてくれることで、助かったこととか、
心地よかったことを思い出してみましょう。


必ずあるはずです。


そうしたら、自然と感謝の気持が湧いて来ませんか?



意見の相違でぶつかり合っていることは
ひとまず脇に置いて、感謝の気持に浸ってみましょう。


そして、その気持を表現するのです。


口げんかした後に「愛してるよ」と言っても、
相手はその言葉を信じないでしょう。


信じないということは、伝わらないと言うことです。



でも、それが「ありがとう」なら
受け入れてもらえやすいでしょう。


「ありがとう。」

「そばに居てくれて、ありがとう。」

「結婚してくれて(恋人になってくれて)
ありがとう。」

「掃除をしてくれて、洗濯をしてくれて、
料理を作ってくれて、いつも、いつも、
いろいろたくさん、ありがとう。」



何も要求せずに、ただ自分の感謝の気持ちを伝える。


愛とは、何も要求しないものだから。


愛とは、何も条件を付けないものだから。


だから、
愛しているという気持ちを表現するには、
「ありがとう」しかないと思うのです。


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2012年10月09日

自分に正直になるということ

今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



「自分に正直になる」と言うと、
多くの人は賛同されるでしょう。


「そうだよね。
やっぱり自分に正直にならなくっちゃ。」


きっと心のどこかで、
それが真実だと感じているからでしょう。


けれども、そうわざわざ言うということは、
それができていない証拠でもあります。




たとえば、
都会で暮らしている息子に対して田舎の母親が、
正月に帰省するように言ったとしましょう。


正直に言えば、帰省するとお金もかかるし、
それなら都会で遊んでいた方が楽しいと思っている。


しかし、
親孝行するのが良い人間だという価値観もあり、
むげに断ることもできない。


そういう状況の時、あなたならどう考えますか?



たとえば、母親の期待に応えるために
あまり気がすすまないけど帰省したとしましょう。


果たしてそれで、楽しいでしょうか?


また帰省したとき、
母親から生活態度だとか将来の結婚観について、
小言でも言われたらどうでしょうか?


「なんだよ、
せっかくお母さんのために帰ってやったのに。
文句ばっかりでうるせえなあ。」


そんなふうに、腹をたてるのではないでしょうか。



自分に正直になってないからです。


他人の価値観にしたがったためです。


世間体とか、他人からどう見られるかとか、
すべて他人の価値観です。




そうして自分を押し殺して何かをしたのに、
不機嫌にさせられたから頭にきたのでしょう。


それは暗黙のうちに、取引しようとしていたのです。


あなたが好むことをする代わりに、
何かの恩恵を自分にください。


その取引が行われると期待したから、
そうならなくて怒ったのではありませんか?



しかし、よくよく考えてほしいのですが、
いったい誰がその取引を応諾したのでしょう?



契約書にサインを交わしましたか?
口約束でもしましたか?


自分が勝手に、取引が成立すると
思い込んだだけではありませんか?



誰もそんな取引に応じたりはしません。


その勘違いが、そもそもの間違いなのです。


他人は、その人の思ったようにしか考えないし、
行動もしません。



だから自分も、自分に正直に生きるべきなのです。



「でも、それだと角が立つんじゃないの?」


たしかに、
相手の期待に添えない場合もあるでしょうから、
いつも相手を満足させられるわけではありません。


「年に1回くらい帰省して親に顔を見せなさいよ。
あんたは親孝行もできないの!?」


そういって非難されるかもしれません。


それでも、自分がそうしたくないと考えるなら、
自分の価値観に従うべきなのです。



そして、
相手からの非難を真に受ける必要もありません。


それは相手の価値観に過ぎませんから。


相手と自分とは価値観も異なるし、
相手の価値観が絶対でもありません。


同様に、
自分の価値観を相手に押し付ける必要もないのです。



したがって、
非難されても反論する必要もありません。


「そう、その気持はわかるよ。
でも悪いけど、今回は帰省しないから。
ぼくがそう決めたんだ。」


無理に相手と争わなくても、
単に自分の思いを穏やかに伝えるだけで良いのです。



「それじゃあ、
親孝行しない方が正しいとでも言うの?」


私は、何が正しいとか
間違っているということは言いません。


もし自分が「これが正しい」と思うなら、
それが正しいことなのです。


その自分の気持に正直になることが
大切だと思うのです。




たとえば、正月に帰省しなかった場合に、
あとで母親のことを考えるかもしれません。


「お母さんも、本当は寂しいんだろうなあ。
1年に1回くらいは顔を見たいという
気持ちになるのも、当然だろうなあ。」


そう思って、正月には帰省しなかったけど、
次の連休で1泊だけでも帰省しようという
気持ちになるかもしれません。


そのときは、そうすることが
自分の気持ちに正直になることです。



「正月に帰らなかったのに今度帰るなんて言ったら、
すぐに気持ちが変わるダメなヤツだと
思われるんじゃないだろうか?」


そう考えて帰省しなかったとしたら、
それは自分の気持ちに正直になれなかったのです。


母親に対して優しい人間が
自分らしいことだと思って行動するなら、
それは自分の思いで行動したのです。


けれども、母親に対して優しい人間でなければ
批判されるからと思うなら、
それは他人の思いで行動することになるのです。



見た目には、違いはわかりません。


違いがわかるのは、自分だけです。




もう他人の価値観で生きることは
やめにしませんか?


あなたにとってもっとも大切な人間は、
あなた自身です。


あなたが、あなた自身を見失ったら、
いったい誰があなたを愛してくれるのでしょう?



自分に正直になって、
あなた自身をしっかりと愛してほしいのです。

posted by ジャンメダイ at 19:35| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月02日

衝突をどう解決するか

今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



生きていれば、他人と衝突することはよくあります。


物理的な衝突もあるでしょうけど、
意見の衝突もあります。


つまり、
価値観が違う場合に、お互いに譲れないケースです。


そんなとき、
どう考えれば良いかということをお話しましょう。



具体的な例をあげてみましょう。


よく人生相談などであるのですが、
こんな悩みがあります。


ご主人の両親と同居していて、
そこに盆や正月に親戚がやってきます。


中には家族連れで大挙してやってきて、
食べ散らかして、好き勝手に家の中を使って、
片付けもせずに帰っていくという親戚もいます。


お嫁さんにしてみれば、
自分とは血のつながりもない他人の面倒を
みなければなりません。


それなのに、自分へのねぎらいも何もないと、
いったい何のために
そんなことをやらなければならないのか、
という気持ちになります。


「もう嫌だ。私はやらない。」と言って済むなら
楽なのですが、現実的にそれは難しいです。


それに、
自分がわがままを言うひどい人間のように思えて、
とてもそんなことはできません。


相手が自分のことを気遣ってくれれば良いのですが、
角が立たないようにそう仕向けるには、
どうしたら良いでしょうか?



どこにでもあるような、よくある話です。


整理すると、関係者はお嫁さん(自分)、
ご主人、ご主人の両親、そして親戚です。


それぞれの思惑(価値観)が異なっているため、
衝突が起こっています。



そして、
その価値観を一致させることが
解決策だと思い込んでいるために、
解決を難しくしています。




価値観を一致させるということは、
お嫁さんが親戚の人の価値観に合わせるというのが
第1の方法です。


つまり、
相手は大挙してやってきて、まるで我が家のように
くつろぐことを良しとしているのですから、
それを喜んで受け入れるということです。


でも、それができないから苦痛を感じているのです。


お嫁さんの価値観では、
世話をする自分のことを気遣って、
食事の準備や後片付けを手伝ってくれたり、
そもそも大人数でやってこなければ良いと
思っています。


それを親戚の人に対して言って、
理解してもらうことが第2の方法になりますが、
それでは価値観の違いを表沙汰にして、
対決することになります。



では、
ご主人やその両親の価値観はどうなのでしょうか?


そこで人生相談の回答者がよく言うのは、
ご主人の協力を得ましょう、ということです。


ご主人は双方の価値観が理解できる立場であり、
夫婦としてお嫁さんのことを守る立場にあるから、
協力を依頼するのが良いというわけです。


しかし、ご主人と言っても他人です。


お嫁さんと価値観が異なることは、
十分に考えられます。


たとえばご主人が、
その親戚の人をものすごく好きだったら、
それをもてなすことを嫌がるお嫁さんに対して、
憤りを覚えるかもしれません。


「オレのことを愛してないから、
そういうふうに思うんだろう!?」


ご両親も、年に2回くらい、
血のつながった親戚の人々の元気な様子を見ることが、
何よりの楽しみかもしれません。




そこで、私がおすすめする解決方法です。


それは、相手からどう思われるか、
ということをやめることです。



相手に対して、
何か期待するということを放棄するのです。


そもそも他人がどう考え、
どういう価値観を持つかなどということは、
自分がコントロールできることではありません。


だから他人の自由にさせたら良いのです。



その上で、どうするのが自分らしいかを考えます。


年に2回やってくる親戚を
温かくもてなすのが自分らしいことでしょうか?


それとも、やはり2回はしんどいから、
1回にしてくれと言うのが自分らしいでしょうか?


ともかく、考える時の判断基準を、
そうすることが自分らしいことかどうか
だけにするのです。




もしそういう理由でもてなすことを選択したなら、
親戚の人からの感謝の言葉が必要でしょうか?


おそらく必要とは感じないはずです。


だって、
そうすることが自分らしいからやっているだけで、
他に何の望みもないのですから。



では仮に、
2回は無理だから1回にしてほしいと思ったら、
どうするでしょうか?


まずはご主人に、はっきりとそう言います。


それでもやれと言われたら、
「私はやりません」と言って、放棄すれば良いのです。


あとはご主人が勝手に考え、
やりたいようにするでしょう。



そういうことで何かを失うと心配なのでしょうか?


もし、何かを失う不安を動機として行動すれば、
あなたは依存体質になります。



何を失っても、大したことではないと思えないと、
いつも不安でビクビクしているようになります。


それで良いのでしょうか?


そうやって何かをつなぎとめたとしても、
一番大事な自分自身を見失ってしまうのです。


それでどうして、
生きている意味があると言えるのでしょう?



ただ、そうは言っても、
なかなかそう簡単には割り切れない、
ということもあるでしょう。


いえ、むしろそういうケースが多いと思います。


そのときは次善の策です。



自分が選んだことを、
それが自分らしいから選んだのだと決めることです。



本当は1回にしてほしいけど、
ご主人からの要請を断りきれなかった。


もしそうなら、
ご主人の要請に応えることが
自分らしいことなのだと決めるのです。



そうすれば、
ご主人に対して見返りを求める気持ちがなくなります。


「私がこれだけ無理をしてあげたのだから、
もうちょっとは気遣ってよ。」


そんな取引のような気持ちを持たずに済むのです。



他人を変えようとするのではなく、
自分を変えることが解決する最善の方法なのです。


posted by ジャンメダイ at 22:22| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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