理想の自分と出合う。自分探しの方法が、ここにあります。

「自己変革3つのステップ」

2012年09月25日

ちょっとの違いが大違い

今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



その前に、少し前回のことをお話します。


前回は政治の話として、
領土問題を国際司法裁判所で解決するよう
人々に訴える方法があることをお話しました。


するとその後すぐ、
野田首相が国連でそういう演説をすると
ニュースに流れました。


まさか野田首相も、このメルマガの読者なんてことは...
ないですよね?


いや、ほんの冗談です。


誰でも思いつくような内容ですから。


ただ私は、国連で演説することよりも、
広く「みなの衆」に訴える方が効果が大きい気がします。


力でゴリ押しされないよう防御すると同時に、
言論で人々の気持ちを動かしていく。


それが重要だと思います。


党代表選挙では、票にならないからと
海外記者クラブの取材を拒否するのではなく、
むしろ積極的に利用してほしかったですね。




さて、本題に入りましょう。


日本ではあまりチップの習慣がありませんが、
タイはアメリカほどではないにしても、
チップの習慣があります。


レストランで食事の後、お釣りの小銭を置いておくとか、
チップBOXに入れたりします。


個別にサービスしてくれるマッサージや、
ゴルフのキャディーさんなどへもチップを払います。


アメリカと違うのは、あまり相場というものがない
ということです。


アメリカは、以前は値段の10%でしたが、
最近は15%だと聞いたことがありますから。



このチップをいくら払えば良いかということが、
海外旅行をされる方の間で
悩みの種になっているようです。


慣れていない方だと、たいてい
「いくら払えばいい?」と聞かれます。


「いくらでもいいですよ。」と答えると、
さらに混乱してしまうようです。


それで私は、こう言うようにしています。


「気持ちですからいくらでもいいですけど、
もし普通に良かったと思ったら100バーツあげてください。」


「とっても良かったら、200バーツでも500バーツでも、
自分が満足するだけあげてくださいね。」



こう言うと、相場は100バーツだとわかって、
安心されるようです。


ただ、このときの気持ちが、とても重要だと思います。



「安心する」というのは、
いくらかわからないと「不安」だからですよね?


そしてその不安の原因が、
「自分がどう思われるか」ということなら、
ちょっと問題です。




自分が悪く思われることが不安で相場を知りたい。


その気持ちは、チップを払わされているのです。


つまり、心は自由ではありません。


他者や環境から、自分の行動を規制されているのです。



もしその不安が、自分がどう思われるかではなく、
相手が喜んでくれるかどうかだったら、
似ているようでまったく違うことになります。


相手が考えるお金の価値基準からすると、
いくらもらうと嬉しいと感じるか。


それが気になるのであれば、
チップを払わされているのではなく、
チップを払いたいという気持ちなのです。


金額がいくらかなど気にならず、
ただ相手をどれだけ喜ばせることができるかが
重大な関心事になっています。


つまり、心は自由なのです。



もし心が自由な人が相場がわからなければ、
自分で考えた金額を渡すでしょう。


ひょっとしたらそれが多すぎるかもしれないし、
逆に少なすぎるかもしれない。


けれども、わからないのですから、
あまり気にしません。


喜んでくれたら嬉しいけど、
もし相手の期待に添えなかったとしても、
それはそれで仕方ないと思う。




やってみなければわからないことや、
何度も経験しないとわからないことがあります。


最初から完璧にできなくても良いと、
心が自由な人は考えるのです。



自由な心で何かをすれば、幸せな気分になります。


しかし逆に、させられているという気持ちから行えば、
幸せな気分になれないのです。

posted by ジャンメダイ at 15:46| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月18日

みなの衆に訴える

今日は、政治の問題を取り上げます。



私のメルマガのテーマとして
ふさわしくないと思われるかもしれませんが、
これもまた人生に起こる出来事の1つです


人生に起こる出来事に対してどう対応するか?


それによって人は、
幸せにもなれるし、不幸にもなれます。


ですから、
実際に起こっている出来事を事例として、
私の考え方を応用したいと思うのです。



まず、
私が国を直接動かせるわけではありませんから、
個人としてどう考えるか、ということが
テーマとなります。


取り上げる事例は、中国との国境問題。


つまり尖閣諸島の領有権問題です。



中国は今、そのことで反日デモが頻発し、
暴動化する動きがあります。


中国政府は、反日デモそのものは容認し、
多少の器物損壊は見逃す方針のようです。


ストレスが溜まっている国民のガス抜きと
指摘する専門家もいますね。


しかし、広範囲な暴動になることだけは
断固弾圧するつもりのようです。


政権批判に波及することを防ぐ狙いだとか。


中国政府も、13億の国民を統制しているので、
その運営は並大抵のことではないようです。


そのため、スケープゴートとして
反日が利用されている側面もありそうですね。



そんな状況ですから、暴力には暴力をとばかりに、
我々日本人が感情的になることは、
得策とは言えません。


13億対1億3千万では、10倍も差がありますから。


戦争した場合だけの話ではありませんよ。


13億の人を敵に回したら、経済活動においても
日本にとって有利なことは何一つありません。


ということで、日本のとる戦略としては、
話し合い解決しかないのです。



以上は政治的な判断ですが、
個人的にはどう考えたら良いのでしょうか?


どう考えたら良いかわからないとき、
私はこう言うことを勧めています。


「これはチャンスだ!」
「これは都合が良い!」



そう言葉にしてみると、
いろいろとアイデアが浮かんできます。




たとえば、こういうのはどうでしょうか。


中国は尖閣諸島を自国領だと言っていますが、
専有しているのは日本です。


日本は、中国との間に
領土問題は存在しないという立場です。



これ、ひっくり返すと
韓国との竹島問題と同じですよね。


韓国が専有し、領土問題はないと主張しています。


それに対して日本は、
国際司法裁判所へ提訴すると言いました。



尖閣諸島の問題では、
領有権を主張する中国も台湾も、
国際司法裁判所へ提訴するとは言いません。


どうしてでしょうか?



おそらく答は、
提訴しても勝つ見込みが少ないからだと思います。


勝てる見通しがないのに提訴することは、
国益に反します。


だからやらないのです。



一方日本は、提訴された場合に
応訴する義務を負うという宣言をしています。


つまり国際司法裁判所に訴えられた時、
日本には受けて立たないという選択肢はないのです。


なぜか?


日本は国連中心主義を外交の方針としているからです。


国同士の話し合いにおいても、国際法に基づき、
国連の枠組みでやろうとしています。



では、あなたはどちらの姿が正しいと感じますか?


実力行使で自分の正しさを押し通そうとする方法と、
国際司法裁判所の裁定を仰ごうとする方法です。


平和主義のイメージは、どちらにあるでしょうか?


当然、後者ですよね。


と言うことは、
せっかく中国が前者の方法でやってきたのですから、
ここは日本が後者の方法を押し通すことで、
世界の人々にどちらが平和的かを
判断してもらえば良いのです。


日本の平和主義を、
世界の人々に知らしめるチャンスだというわけです。





かつて渡部昇一さんは、
アメリカは民主主義の国だから、
皆の衆に直接訴えるのが良いという
話をされていました。


日米経済摩擦のときの話だったと思います。


新聞やテレビに広告を出して、日本の主張を説明し、
アメリカ国民に判断してもらうのだと。


そうすればアメリカ政府はゴリ押しできません。


同じことを、アメリカだけでなく、
世界に対して行うのです。



世界には、
中国のような専制的な国家が数多くあります。


しかし、その政府の方針と国民の考えは異なります。


すぐに政府の方針に影響がでないとしても、
国民を味方につける方が、後々有利になると思います。


専制国家も、
いつ政権が転覆されるかわかりませんからね。




ということで、
今こそ平和主義を推進するチャンスだ
と考えることもできます。


「領土問題は国際司法裁判所で解決しましょう。
 日本は逃げも隠れもしません。
 法と正義に基いて、
 どちらに領有権があるか決めませんか?
 日本はその裁定に従います。」


そういう広告を、世界中のメディアに対して
バンバン行うことを提案するのです。


個人的にも情報発信しても良いでしょう。



それでも、反対する人はいるでしょう。


国際司法裁判所を信じられない人です。


けれどもこれは、
国連というものをどうしたいのかということを、
世界の人に問うことになります。


それだけでも、十分に
世界平和に貢献したことになると思います。



こんなチャンスが目の前にあると思うと、
わくわくしてきませんか?



中国の人が反日感情で騒いでいるのも、
そういう教育を受けてきたのですから
仕方ないことです。


そういう弱者に対して腹をたてるのは、
自分を同列に引き下ろすことになります。


そんなことより、
千載一遇のチャンスを提供してくれているのですから、
むしろありがたいと感謝すべきことでしょう。


そう考えると、幸せな気分になりませんか?


その幸せな気分の中で、
自分に何ができるだろうかと考えるのです。




相手の悪いところを見つけて非難するよりも、
自分にとって都合が良いところに
意識をフォーカスする。


政治問題だって、同じことなのです。

posted by ジャンメダイ at 22:58| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月11日

これぞ最強の逆転の発想

今日は、私の考え方について書きます。



「幸せになる」ということを考えるとき、
多くの人はその理由を考えます。


たとえば、「学校の成績が優秀だから幸せ」とか、
「恋人ができたから幸せ」など。

このように、
何かを得ることで幸せになると考えるのです。



でも、こういう考え方をしている限り、
本当の意味で幸せにはなれません。


「隣の芝生は青い」という言葉は、
そのことを物語っています。


念願のマイホームを建てて、
幸せの絶頂期にあるはずなのに、
隣の家が気になるのです。

「うちよりも手入れが行き届いて
青々とした芝生だなあ。」

「それに比べてうちの芝生は貧相だ。」

そう思って、幸せを味わえないことになります。


もちろん、芝生というのはたとえです。

ですから、他にもいろいろな比較するものがあります。


「お隣のご主人は、
まだ30歳なのに課長さんになったんですって。
それに比べてうちは...」

「隣の息子さん、
サッカーで全国大会に出たんですってよ。
うちの息子はぜんぜんそういう才能がないからねえ。」




では、他と比較するから良くないのでしょうか?



よく、自分自身と比較するように言う人がいます。

でも、それを幸せの理由とする限り、
同じことなのです。



たとえば、こういうのはどうでしょう。

「昨年まではクラスで1番の成績だったのに、
今年になってからは3番にも入れない。」


えっ?これは厳密には他人との比較ですって?

まあたしかに、そうも言えますね。


では、これならどうでしょう。

「20歳のころは100mを10秒台で走れたのに、
今は滅多に11秒を切れないなあ。」


年齢とともに落ちる体力は、どうしようもありません。

過去の栄光を取り戻そうにも、
無理というものはあるのです。




では、どうすれば良いのでしょうか?



その答えは、童話「青い鳥」にあります。

幸せの青い鳥を探して外に出かけても、
見つけることはできませんでした。

青い鳥は、自分の家の中にいたからです。


つまり、
今の現状の中に幸せ(青い鳥)を探すのです。




「30歳で11秒台で走れるなら、
なかなかなものじゃないか。」

「元気で走れるってことは、
それだけでも幸せなことだな。」



小説「少女パレアナ」に描かれた少女は、
父親から教わった「何でも喜ぶゲーム」をすることで、
どんな苦境も乗り越えていきます。


クリスマスのプレゼントには、
かわいいお人形が欲しかった。

けれどももらえたのは松葉杖。


「こんなもんもろーて、どうせいっちゅうねん!!」


失礼しました。
つい、変な関西弁になっちゃいました。(笑)


もちろんパレアナは、こんな下品なことは言いません。

こんなときも、「何でも喜ぶゲーム」をします。


松葉杖をもらったことでパレアナは、
「自分にはそれが必要ない」ということに気づきます。

つまり、丈夫な足があって、
歩くことも飛び跳ねることもできるのです。

「あー良かった。
私には、こんな素晴らしい足があるのね。」

そう言って喜んだのです。




バカバカしいですか?



そう思われる方は、
どうぞ好きなように考えてください。

どう考えるかは、人それぞれ自由ですから。



でも、この考え方こそが最強なのです。


なぜなら、何からも侵害されないから。


誰もパレアナの幸せを奪うことができないのです。

どんな状況であっても、
パレアナは幸せでいる方法を知っているのですから。



何か原因(理由)があって、
それで幸せな状態(結果)になるという考え方を、
180度変えることです。


まず先に幸せになるのです。

今、この状態が幸せだと決めるのです。

そして、その理由を探すのです。


もしその理由がなくなったら、
他の理由を探せば良いだけです。




そうすると、どんなことになるのでしょうか?


幸せな出来事が起こるのです。

引き寄せの法則とは、そういうことではありませんか。

幸せだと信じている人に、幸せな出来事が起こります。



この順序を間違えてはダメです。

引き寄せの法則を期待して、幸せになろうと考えると、
失敗しやすくなります。

どうしても
「これは幸せな出来事を期待してやっているのだ」
という気持ちが残るからです。


そうではなく、何が起こっても良いと決めるのです。

実際、何が起ころうとも幸せでいられるのですから。



身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ


どうなろうともかまわない。

そういう捨て身の時、道は開けるのです。

posted by ジャンメダイ at 17:18| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月04日

自己啓発はこれだけでOK

今日は、最近読んだ本を紹介したいと思います。


私は自己啓発書が好きで、よく読んでいます。

私の考え方の多くは、
こういった書籍から吸収したものが多いと思います。

「読書は心の糧」と、
小学校の図書室に貼ってありましたが、
まさにその通りだと思いますね。



さて、みなさんは、年に何冊くらい本を読まれますか?

わずか1,000円〜3,000円くらいの出費で、
膨大な知識や知恵が得られます。

こんな安い自己投資は他にないと思います。

ぜひ、本を読む習慣を身に着けてくださいね。



では、今日のオススメです。

「一流の人に学ぶ 自分の磨き方」

かんき出版/スティーブ・シーボルド著/弓場隆[訳]



この本の著者は、元テニスプレーヤー。

しかし、名前を聞いてピンと来る人は少ないでしょう。

つまりそれだけ、有名ではなかったということです。

にも関わらず、「一流の人」について語るというのが、
ちょっと皮肉めいていると思いませんか?


それは、著者自身も意識しているようです。

実はこの著者は、学生の頃から
「一流の人」の研究を始めたのだそうです。

そして20年間研究した結果が、
この本に書かれているとのこと。

今はテニスプレーヤーではなく、
経営コンサルタントの会社をおこし、
トヨタ自動車など有名な企業を
クライアントに持つほどになっているとか。



それでこの本の内容なのですが、実に素晴らしいのです。

全体を通して、
一流の人と二流の人を対比するスタイルになっています。


これは何も、二流の人をバカにしているわけではありません。

一流の人と二流の人の違いは、
その素質とか能力、あるいは環境にあるのではなく、
ちょっとした考え方の差なのだと言うのです。


その違いを、12章にわたるテーマごとに分析しています。

そのテーマは、以下のようなものです。

第1章:信念
第2章:勇気
第3章:努力
第4章:情熱
第5章:成長
第6章:規律
第7章:学習
第8章:感謝
第9章:謙虚
第10章:正義
第11章:忍耐
第12章:寛容


このようなテーマごとに、
一流の人と二流の人との違いを分析しています。

各章のはじめには、
端的な言葉でその違いが述べられています。


たとえば第1章の信念だと、こう書かれています。

『二流の人は「できない」と思い込み、
 一流の人は「できる」と考える』


このシンプルな言葉の中に、その差が表れています。

このちょっとした考え方の違いが、
一流と二流を分けると言うのです。



この考え方の違いにまずは気づくことが重要です。

そして、できることから変えてみましょう。

そうすればあなたは、一流の人になれると思いますか?



一流の人は、「なれる」と考えるのです。

ラベル: 一流 自己啓発
posted by ジャンメダイ at 19:55| Comment(2) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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