理想の自分と出合う。自分探しの方法が、ここにあります。

「自己変革3つのステップ」

2012年08月30日

すべては自分のために存在する

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  かつてお釈迦様は、
  人生には四苦八苦があると喝破しました。


  四苦とは、
  生老病死(しょうろうびょうし)の4つです。


  人間として逃れられない、根源的な苦を表します。


  老いること、病になること、死ぬことの苦は
  理解しやすいでしょう。


  生きることの苦というのは、
  生きているからこそ味わう苦しみ
  というものでしょうか。


  自殺する人というのは、
  まさに生の苦から逃れようとしたのでしょう。



  八苦とは、それに以下の4つの苦が加わります。


  愛別離苦(あいべつりく):
  愛する人と別れる苦しみです。


  怨憎会苦(おんぞうえく):
  怨み憎む人と会わなければならない苦しみです。


  求不得苦(ぐふとくく):
  求めるものが得られない苦しみです。


  五蘊盛苦(ごおんじょうく):
  物質的あるいは精神的な5つの要素に
  執着する苦しみです。



  聞くと、「なるほどそうだ」と
  思われるのではないでしょうか。


  このように、この世は
  四苦八苦に満ちているというのです。




  それでは、なぜ、
  この世はこうなのでしょうか?


  また、これらの苦から逃れる方法は
  ないのでしょうか?





  その問に対する答をご存知でしょうか?


  おそらく、知らない(と思っている)方が
  多いのだと思います。


  だから、同じことを何度も繰り返し、
  この苦しみの地獄を
  いつまでも続けているのでしょう。



  しかし、その問に対する答は、
  すでに明らかにされています。



  それは仏教だけでなく、
  キリスト教などでも同様です。


  またその答は、
  必ずしも宗教的なものばかりでもありません。


  そして私のメルマガでも、
  その答を何度となく示しています。



  けれども、何度耳にし目にしても、
  聞こうとしなければ聞こえず、
  見ようとしなければ見えません。


  「神よ、どうして私を見捨てるのですか!?」


  あのイエス=キリストでさえ、
  一時はそう言ったと聖書に書かれています。


  このことは、我々凡人にとっては救いです。


  まさに、そこに答があるからです。



  世の中には、様々な苦が満ちています。


  けれどもそれは、
  すべて私たちのために存在しているのです。



  私たちが望んだ結果と言っても良いでしょう。



  たとえば、自分が何も悪くないのに、
  誰かからひどい仕打ちを受けたとしましょう。


  「どうして自分がこんな目に
   合わなければならないんだ!?」


  そう言って、天を呪いたくなるかもしれません。


  信頼する友人から裏切られた時、
  恋人から捨てられた時など、
  そう感じるでしょう。


  けれども、その苦しみの隣りに、
  栄光が並んで座っているのです。


  それはあなたが、
  より大きな愛を表現するために必要な
  お膳立てだったのかもしれません。


  許し難きを許すからこそ、
  より大きな愛を表現できるのですから。



  この世の出来事を、
  苦だと思うから苦になるのです。



  それが答です。


  栄光に続くチャンスだと思えば、
  栄光になるのです。



  たとえば母親は、
  子どもを産むときに痛さを経験しますが、
  それを苦とは思いません。


  なぜならそれは、
  愛する我が子がこの世に生まれる儀式だと
  わかっているからです。


  生まれる瞬間の喜びを
  すでに感じているからです。


  痛みがあるから苦しいのではありません。


  痛みの先に栄光を見ないから苦しいのです。


  そして子を持つ女性は、
  周りの人にそのことを示してきました。


  それがどれほど素晴らしい使命だか、
  おわかりでしょうか?



  すべての出来事は、
  自分の栄光のために存在します。



  一見、苦と見えることであっても、
  それは変わりません。


  そのことを知っていて体験するのか、
  それとも知らずに体験するのか。


  その違いによって、
  この世は苦に満ちた地獄にも見えるし、
  チャンスに満ちた栄光への一里塚にも
  見えるのです。

posted by ジャンメダイ at 19:02| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月23日

非難しても社会は変わらない

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  大津市立中学の男子生徒が自殺した件で、
  いじめが原因ではないかと問題になっていました。


  いじめを隠そうとしていると疑われて、
  学校や教育委員会が批判されました。


  ネットでは、加害者やその家族の
  名前や写真を公開する人も現れました。


  社会的な制裁を加えなければ
  気が済まないと思ったのでしょう。



  そういった考え方が、
  ついに事件にまで発展しました。


  中学校には爆破予告があり、
  臨時休校する事態になりました。


  犯人は埼玉県の高校生でした。


  また、加害者を殺すという脅迫状が、
  滋賀県知事あてに届きました。


  犯人は愛知県の無職の男。


  そして、
  大津市の教育長がハンマーで襲われるという
  暴力事件も発生しました。


  犯人は埼玉県の大学生でした。



  こうした事件を受け、
  自殺した少年の父親がメッセージを公表しました。


  どんな思いがあったにせよ、
  暴力に訴えてはいけないというもの。


  それは「息子の本望ではありません」と
  つづっているいるそうです。



  「そこまでやったらやり過ぎだよ。」


  そう思われた方もおられるでしょう。


  では、「そこまで」という境界線は、
  いったいどこにあるのでしょうか?


  暴力だからいけないのでしょうか?


  刑事事件になるから、いけないのでしょうか?


  刑事事件にならなければ、執拗に追いかけて
  ネットに実名などを公表する行為は、
  問題ないのでしょうか?



  もちろん、人それぞれに考え方はあるでしょう。


  ネットに寄せられたコメントを見ても、
  あの程度の暴力は容認できるというような
  過激な意見もありました。



  ここで少し視点を変えて、
  どうしてこういうことになるのか、
  また、それで問題が解決するのか、
  ということを考えてみたいと思います。



  私は、問題の本質は
  他人を非難する心にあると思っています。



  非難するということは、
  自分は正義であり、相手は悪であるという
  価値観があるからです。


  そしてその価値観は絶対的であり、
  すべての人が従うべきだと考えています。


  だから、その価値観に従わない人がいることが
  許せないのです。



  しかも、そういう人の心の不安が大きいと、
  誰かがその価値観に従わないことで、
  自分が疎外されたように感じられます。


  すると、自分自身の存在基盤が揺らぐのです。


  だから必死になって、その正義を守ろうとします。


  その正義とは、自分自身と同じことだからです。



  本当は、正義などというものは、
  100人いれば100通りもあるものです。


  ですから、
  他人が自分と異なる価値観を持つことは、
  当然のことです。


  それを受け入れられないから、
  自分が苦しんでいるのでしょう。



  注意して欲しいのは、
  法律違反は非難されることではない
  ということです。


  法律違反をしたなら、単に法律に従って
  処罰すれば良いだけのこと。


  非難する必要性はないのです。


  そこを混同すると、
  非難しないことが悪(違反)を容認することと
  間違って捉えられてしまいますので。



  問題なのは、相手の価値観を否定して、
  一方的に非難したくなる気持ちのことです。



  そうやって他人の価値観を変えようとして、
  非難したり、脅したり、懇願したり、
  暴力に訴えたりしても、
  他人は価値観を変えません。


  他人が変わるのは、
  その人自身が変わろうと決めた時だけですから。



  ですから、
  あらゆる他人を変えようとする努力は、
  徒労に終わるのです。


  そして、そういう努力の行き着く先は、
  必ず暴力沙汰になるのです。



  もし本当にいじめをなくしたかったら、
  「いじめはダメだ」と訴えても無理です。


  そういうことは、
  これまでに何度もやってきたではありませんか。


  そしてそれが効果がないことは、
  すでにわかっているはずです。


  根本的に対策を変えなければならないと、
  賢明な人は気づいているはずです。



  おそらくみなさんは、
  イソップ物語の「北風と太陽」という話を
  知っていると思います。


  どちらが先に旅人のコートを
  脱がせることができるかと、
  北風と太陽が競ったという話です。


  北風がどんなに強く吹きつけても、
  旅人はコートをしっかり握りしめ
  離すことはありませんでした。


  しかし太陽が優しく微笑むと、
  ぽかぽかと暖かくなって、
  旅人はコートを脱いだのです。



  これを読むと、
  「なるほど、そうだなあ。」と、
  自分に照らし合わせて思うはずです。


  それなのに多くの人は、太陽のように
  旅人(他人)を受け入れることをしません。


  相変わらず北風になって、
  無理にでもコートを剥ぎ取ろうとするのです。



  誰かを非難しても、問題は解決しません。


  まずは価値観は多様だということを
  受け入れることです。



  そのためには、
  自分の心の不安を取り除く必要があります。



  「そんなことをしても社会は変わらないよ。」


  そう言いたい気持ちはわかります。


  けれども、社会を構成する要素は、
  自分と他人しかいません。


  そして他人は変えられないのですから、
  自分が変わるしかないのです。


  その一歩がどんなに小さくても、
  その一歩から全体が変わります。



  まずは自分を変える。


  そこから始めてみませんか。

posted by ジャンメダイ at 15:54| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月14日

敗北こそが最大の宝物

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  ロンドン・オリンピックが終わりました。


  4年に1度の世界的なイベントですから、
  世界中の人が注目していました。


  日本が獲得したメダルの数は、過去最高の38枚。


  大いに成果のあった大会と言えそうです。


  ただ個々に見ていくと、実力を発揮できずに
  優勝できなかった競技もありました。



  そんな中で、
  「鏡の法則」の著者の野口嘉則さんが、
  Facebookで次のように書かれていました。


  長いので要約しますね。



  蓮は、泥の中から養分を吸い取って、
  美しい花を咲かせる。


  私たち人間も、
  泥沼のような悩みや挫折の中で学び、
  それを栄養として人生の花を咲かせるのだ。


  徳川家康は、
  「勝つことばかり知りて負くるを知らざれば、
   害その身に至る」
と言っている。


  負けるということも、また学びになるのだ。


  オリンピックでメダルを取った選手だけでなく、
  残念ながら取れなかった選手たちへも、
  おめでとうと祝福したい。



  そして最後に、こう書かれています。
  引用しましょう。


  「勝利という経験も、敗北という経験も、
   人生という美しい花を咲かせるための
   貴重な養分になるのだと思うんです。」




  私も同感です。


  勝利が期待されながら負けた選手は、
  本当に悔しい思いをしたと思います。


  誰かのせいにしたいけれど、
  そうすれば自分が惨めになるだけ。


  ただただ、
  敗北の悔しさに耐えなければなりません。


  その思いがどれほどのものか、
  想像するに余りあります。



  でも、きっとその経験は、
  その選手の宝物となるでしょう。


  私はそれを信じます。


  だから、胸を張ってこれからも生きてほしい。


  素晴らしい経験をしたのですから。



  特に男子サッカーは、残念だったでしょうね。


  韓国チームとは因縁の対決でもあり、
  これまでも苦汁をなめてきました。


  今度こそはと臨んだのですが、
  雪辱を果たすことができませんでした。


  試合内容は、完敗に近いものだったようです。



  けれども、
  その試合のあとの誰も注目しない光景が、
  注目されて感動を呼んでいます。


  90分間、選手たちを励まし続けた
  サポーターたちがとった行動です。



  日本のサポーターも、
  熱狂的な海外のサポーターに負けず劣らず、
  懸命な応援をしました。


  あれだけ熱を入れて応援したのですから、
  敗北の悔しさは選手たちと同様のものが
  あったでしょう。


  「ちくしょう!何やってんだよー!」


  そう叫びたい気持ちもあったでしょう。


  何かを投げつけたり、蹴飛ばしたりして、
  物に当たりたくなる気持ちもあったでしょう。


  けれど彼らは、それをしませんでした。


  応援のために使わせていただいた場所に感謝し、
  黙々とその場を掃除したのです。




  私は同じ日本人として、
  このことをとても誇らしく感じます。


  そういうことをしない他国の人を批判したり、
  非難する必要性はありません。


  そういうことをしない大勢の人がいるからこそ、
  日本人の素晴らしさが輝くのですから。



  負けたから、悔しい思いをしたからこそ、
  より一層その行為が光ります。


  敗北も無駄ではありません。


  誰も注目せず、誰も賞賛しないからこそ、
  より一層その行為の価値が高まります。


  陰徳は陽徳に勝るのです。



  私たちの人生でも、同じことが言えます。


  理不尽に左遷された時、リストラされた時、
  受験に失敗した時、告白して断られた時、
  大病を患った時、離婚を迫られた時、
  子どもが亡くなった時...。


  失意のどん底の中にあるとき、
  あなたが輝くチャンスなのです。



  だから怖れないで、あきらめないで。


  幸運の女神は、今、微笑もうとしているのです。

posted by ジャンメダイ at 19:02| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月07日

自分という器を大きくする

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私が尊敬する人物について
  お話ししましょう。



  私が尊敬する偉人の一人は、
  勝海舟(かつ・かいしゅう)です。



  幕末に活躍した人として、あまりに有名ですから、
  みなさんもご存知でしょう。


  勝海舟は、幕府の旗本ですから、
  徳川家の家臣になります。


  江戸城の無血開城というエピソードも、
  非常に有名ですね。



  武力によって幕府を倒したかった薩長軍。


  その総司令官である西郷隆盛と渡り合って、
  戦争を回避しました。


  主力の幕府軍はそこで降参したのですが、
  新選組など一部が上野で抗戦しました。


  そこから戊辰戦争という内戦に突入するものの、
  もうすでに決着の着いた戦だったのです。



  勝海舟が考えたのは、徳川家の存続と、
  諸外国から付け込まれる内戦の回避だった
  と言われます。



  当時は、西欧の列強諸国が、
  アジアに植民地を求めていた時代。


  国内が混乱すれば、
  植民地にされるのは必定と思われていたのです。



  早くから外国に目を向け、
  刺客として訪れた坂本龍馬をも
  味方につけてしまいます。


  その器の大きさがどこから生まれたのか、
  とても不思議な気がします。



  明治新政府が樹立した後、
  能力のある人物を求めていた政府は、
  勝に出仕を求めます。


  勝は、自分が日本の役に立つならと、
  その招きに応じます。


  それに対して福沢諭吉が、
  武士なら主君のみに仕えるべきで、
  敵対した新政府(薩長)にも仕えるのは
  とんでもないことだと批判しました。


  それを聞かされた勝は、
  これまた有名な言葉で応えます。


  「行蔵(こうぞう)は我に存す
   毀誉(きよ)は他人の主張
   我に与らず我に関せずと存候」



  出処進退は自分が決めることだ。


  批評は他人が勝手にすることで、
  自分には関係がないことだ。


  そう言って、相手にしなかったのです。



  勝にとって、
  自分が他人からどう思われるかということは、
  どうでも良かったのです。


  それよりも、自分がどう生きるか、
  自分の人生に対してどう責任を取るのか、
  その方が重要だったのでしょう。




  その勝の生き方は、
  言志録にある佐藤一斎の言葉とも
  通じるところがあります。


  「当今(とうこん)の毀誉(きよ)は
   懼(おそ)るるに足らず。
   後世(こうせい)の毀誉(きよ)は
   懼( おそ)る可し。
   一身(いっしん)の得喪(とくそう)は
   慮(おもんばか)るに足らず。
   子孫の得喪( とくそう)は
   慮(おもんばか)る可し。」



  現在の批評を気にすることはない。
  それよりも後世の批評をこそ気にするべきだ。


  自分だけの損得を考える必要はない。
  それよりも子孫の損得を考えることだ。


  古典は、時代の洗礼を受けて
  生き残ったものだから価値がある。


  それと同様に自分の功績も、
  後の時代に評価されるものでなければ
  本物ではない。


  今、自分が得することだけを考えていては、
  本物にはなれない。


  後世の人々が得することを考えて、
  仮にそれが自分にとって損であっても、
  あえてそれを行うことが本物なのだ。



  この考え方は、遡れば孟子の中にあります。


  「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、
   千万人と雖(いえど)も、吾往かん。」



  自分の心に深く問うてみて、
  それでもそうすることが正しいことだ、
  自分がやるべきことだと思うなら、
  たとえ千人万人の人々が反対しようとも、
  私はそれを行う。



  自分という器を、
  後世の人々も含めた日本全体まで押し広げ、
  その上で今、自分が何を為すべきかを考える。


  それができたから、
  批判されることも怖れなかったのでしょう。



  大田区の洗足池公園の片隅に、
  勝海舟の墓があります。


  その近くに住んでいたころ、
  正月の初詣がわりに勝海舟の墓参りをしました。


  日本を植民地化の危機から救ってくれた
  偉大なる恩人の1人に、
  感謝の気持を捧げたかったのです。

posted by ジャンメダイ at 13:55| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月01日

本物のリーダーとしての生き方

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私が尊敬する人物について
  お話ししましょう。



  私が尊敬する偉人の一人は、
  上杉鷹山(うえすぎ・ようざん)公です。



  ご存じの方もおられるでしょうけど、
  米沢藩の藩主だった人です。


  高鍋藩の藩主の息子として生まれますが、
  跡取りがいなかった米沢藩に婿養子として出され、
  藩主を継ぐことになりました。


  当時の米沢藩は、
  藩財政が逼迫(ひっぱく)していました。


  その立て直しをした名君として知られています。



  具体的にどのような経済政策をとったかは、
  いろいろなところに書かれていますので、
  そちらをご覧ください。


  簡略して書くと、
  人員を整理し、新たな産業を作ったのです。




  ともかく借金を減らさないと大変ですから、
  支出を大幅に減らしました。


  そのために藩士への俸禄を減らすと共に、
  余剰人員を削減しました。


  厳しい大リストラをやっているのです。


  もちろん、
  自分のための経費も大幅に削減しました。



  それとともに、新たな産業を育成しました。


  鯉の養殖や紅花の栽培などは、
  鷹山によって始められたと言われます。


  給料を減らされた藩士たちには、
  内職をさせました。


  つまり副業を勧めたわけです。



  そして、教育に力を入れました。


  人材を育てないことには、
  藩財政の立て直しは不可能だと考えたのでしょう。


  藩の財政を公開し、
  広く領民から意見を求めたとも言われます。


  叡智を集結させるために、
  藩全体を一致団結させようとしたのです。



  上杉鷹山を有名にしたエピソードがあります。


  アメリカのJ.F.ケネディー大統領が、
  尊敬する指導者を問われた時、
  上杉鷹山と答えたのです。


  内村鑑三が書いた英文で発表した
  「代表的日本人」という本を読んで、
  鷹山のことを知っていたのでしょう。


  ただしこの逸話は、作り話との説もあります。



  さて、ケネディーが鷹山を尊敬した理由は、
  おそらく鷹山の民主主義的な考え方だと思います。


  逸話が作り話としても、
  おそらくそこに焦点を当てたかったのでしょう。


  専制君主の時代に鷹山は、
  藩は藩主のためのものではなく、
  領民のためのものだという考えを持っていました。


  公のものと私的なものをきちんと区別し、
  藩主のために藩を私(わたくし)することを
  しなかったのです。




  私も、こういう人物が日本にいたことを、
  同じ日本人として誇りに思います。


  鷹山が藩主についてから、
  先代の藩主に男の子が生まれます。


  すると鷹山は、その子を養子として、
  藩主を継がせました。


  当時なら妾に子を産ませる方法もあったのに、
  鷹山はそれをしなかったのです。



  その息子に教訓として残したとされる
  有名な言葉があります。


  「為せば成る 為さねば成らぬ なにごとも
   成らぬは人の 為さぬなりけり」




  実際のところ鷹山は、
  領民から選ばれて藩主になったわけでは
  ありません。


  しかし、
  領民のことを誰よりも親身になって考え、
  藩政を行いました。


  領民が選ぶから民主主義なのだとしたら、
  厳密には民主主義とはかけ離れています。


  それでもケネディーが鷹山を尊敬したのは、
  その領民を思う心が民主主義的だと
  感じたからでしょう。



  本当に領民のことを思うから、
  厳しいことも包み隠さず伝える。


  本当に領民のことを思うから、
  共に頑張ろうと率先して行う。


  そして、
  決められた以上の果実を得ようとしないばかりか、
  自分の子孫さえ残そうとしなかったのです。


  富にも名誉にも執着せず、
  ただ藩のために、領民のために、
  与えられた使命をまっとうすることだけを
  考えて生きた人。


  その生き方は、
  まさにリーダーに相応しいと思うのです。

posted by ジャンメダイ at 21:27| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
★ブログランキングに参加しています。★
1日1回、ポチッ↓↓↓とご支援ください。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。