理想の自分と出合う。自分探しの方法が、ここにあります。

「自己変革3つのステップ」

2012年07月27日

国のあり方や未来像を考えましょう

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  政治問題は、このメルマガには馴染まないと
  思われるかもしれません。


  もちろん、ある特定の政党を支持したり、
  特定の政策を良しとするようなことはしません。


  けれども、政治も人生の一部だと思うのです。


  そういう意味では話題として、
  必ずしも避けては通れないものだと思います。


  そう思って、
  今回は少し政治に関して書くことにします。



  取り上げたいのは、消費税増税の話です。


  様々な意見があり、
  国民を二分する話題になっていることは、
  よくご存知のことでしょう。


  国家財政が破綻するから、
  増税もやむなしという意見もあります。


  一方で、こんな不況の時に増税したら、
  それこそ国家が行き詰ってしまうという意見も。


  国の借金が膨大になり、
  何とかしなければならないということは、
  だいたい共通認識のようです。



  ということを前提に、私の考えを書きます。


  まず、消費税かどうかはさておき、
  増税しなければいけないかという問題です。


  私は、国の予算はどうあるべきかということが、
  真っ先に議論されるべきではないかと思います。



  大雑把に言えば、
  国の予算はいくらにするのが良いのか
  ということです。



  増税のタイミングが悪いという意見もありますが、
  それは瑣末なことだと思うのです。


  国会議員も痛みを分かち合えとか、
  人情的には理解しますが、
  それも大した問題ではないと思います。



  現在の大体の予算はご存知でしょうか?


  補正予算を除くと、
  一般会計で約90兆円になっています。


  それに対して収入は税収が約40兆円
  赤字国債などによる穴埋めが約50兆円です。


  予算約90兆円のうちの約20兆円は、
  これまで発行した赤字国債の利払いなどに
  使われます。


  つまり、
  実質的に国家運営に使われる予算は約70兆円です。


  その中の主だった内訳を見ると、
  社会保障関連が約30兆円、地方交付税が約15兆円、
  公共事業が約5兆円、防衛関連が約5兆円、

  などとなっています。


  社会保障関連というのは、
  年金や保険などの掛金だけでは足りないので、
  税金から穴埋めしているものが大きいようです。


  社会保障費全体では約100兆円あり、
  その大部分は保険料などで工面しており、
  残りの約3割を税金で補填している構造です。



  税収は、バブルの時でも約60兆円でした。


  そのことを考えると、
  増税なしで60兆円以上の予算を組むのは、
  無謀だと私は思います。



  タイミングがどうかという議論の前に、
  通常の状態で国家の運営をどういう規模で行うかを
  考えるべきだと思うのです。


  また、国家運営に関わる収入を、
  所得税や法人税をなどの
  入り口にかける税金にすると、
  景気の変動で大きく変わります。


  だから実際、
  最近の税収は約40兆円まで落ち込んだのです。


  したがって、今までどおりの税構成なら、
  変動で大幅に減ることも考慮して、
  予算を組む必要があるでしょう。



  もし増税をしないとするなら、
  予算を40兆円近くまで切り詰めないと、
  運営できないでしょうね。



  それで良いのでしょうか?


  まずはそれが問われると思うのです。



  もし40兆円で抑えるとしたら、
  もっとも支出が大きい社会保障関連を
  大幅にカットしなくてはなりません。



  たとえば社会保障全体を2割削減すれば、
  予算は約80兆円になるので、
  税からの補填を約10兆円に抑えられます。


  それで良いのでしょうか?



  そういう当然のことに対して、
  真剣に話し合って決めることが
  政治だと思うのです。



  党利党略や政局で動くのは
  政治屋のやることであって、
  国家の行末を真剣に考える政治家の
  やることではないと思っています。



  そうやって、通常の国家予算が決まったら、
  それをどうやって得るかを考えます。


  なるべく変動の少ない消費税など、
  出口にかける税金の比率を増やす方が、
  私は合理的だと思います。



  その方が毎年、安定的な政策を行えるからです。


  ただし、
  合理的な方法を敢えて選ばないという選択肢も、
  もちろんあります。


  その場合は、それを選択するメリットを説明し、
  合意を得る必要があるでしょう。



  消費税増税は金持ち優遇という意見もありますが、
  私は、それはおかしいと思います。



  仮に10%の税金を払うとして、
  貧乏人が10万円使って1万円の税金を払うところ、
  金持ちは100万円使って10万円の税金を
  払ってくれるのです。


  支払う税金は10倍です。


  これが少ないと言えるのでしょうか?


  しかも100万円も使ってくれれば、
  そこに雇用が生まれます。


  つまり貧乏人10人分の国家に対する貢献を、
  金持ち1人がする計算になるのです。


  要は、考え方の基準をどこに置くかです。


  金持ちも貧乏人も同じ1人なのですから、
  同じ税を負担するのが公平だと
  考えることも可能なのです。



  お金というのは、使うから価値があります。


  お金持ちというのは、お金をたくさん使うから
  豊かでいられるのではありませんか。


  ですから、
  金持ちにじゃんじゃんお金を使ってもらえば、
  それが社会を潤します。


  つまり、他の人も豊かになれるのです。



  そういう社会を是とするなら、
  例外のない一律の消費税がベストだと思います。



  軽減税率を否定するわけではありませんが、
  これだと金持ちが
  100人集めて食事を振る舞っても、
  税金が安くなってしまいます。


  特定の人の負担を減らしたいなら、
  税を還付する方式にするのが一番だということは、
  合理的な帰結だと思います。



  多くの新聞は、
  自分たちが軽減税率を適用されると思ってか、
  盛んに軽減税率の方が良いという
  キャンペーンを張っています。


  たしかに良い点もありますけど、
  税制はシンプルなのが一番だと思うのです。


  そうすれば税務署の職員も減らせますから。



  ついでに言うと、
  健康保険料だとか年金だとか、
  別立てで徴収するのもナンセンスだと思います。


  庶民にとっては、同じ財布から出ていくお金です。


  バラバラに徴収するために、
  どれだけのコストが掛かっていることか。


  かつての社会保険庁の醜態を見ても、
  そのことがわかると思います。



  支払った人だけが、
  それに見合うメリットを得られれば良い
  というものなら、民間にやらせるべきです。


  全員が恩恵を受けなければならないものは、
  すべて税金という名目で
  一元化するのがシンプルです。



  したがって基本的な医療保険である健康保険、
  基本的な生活保障のための基礎年金は、
  その財源を税金に一本化するのが合理的です。


  国家がやるのは、
  最低限のセーフティーネットであって、
  それ以上に国を大きくすることは
  無駄が多くなるからやめた方が良いと思います。



  まあこの辺も、
  国の予算をどうするかというアウトラインを、
  しっかりと決めることが先決ですけどね。



  また、
  金持ちに日本で暮らしてもらうことを望むなら、
  所得税の累進税率を下げることが重要です。



  さらに世界中の金持ちに、
  日本に住みたいという気持ちになってもらうよう
  様々な特典を与える政策を行う。


  そうすれば、日本にたくさん税金を払い、
  消費してくれるようになるでしょう。


  それによって国庫は潤い、
  庶民の生活は豊かになる。


  妬みや嫉妬の政策は、かえって
  庶民の生活を苦しめる結果になると思います。




  これは現在の状況に対する政治ですが、
  将来を見据えて現在の政策を考えることも、
  政治の重要な視点だと思います。



  これから高齢化が進み、
  人口が減ってくると予想されている日本です。


  そういう中で、どういう国家像を描くかが、
  政治家に求められることです。


  移民を増やして人口増加を目指すのか、
  出生率を上げて減少に歯止めを掛けるのか。


  いまだ国の未来像が明確ではありません。



  取り敢えず今の予算を数年維持するために
  消費税を上げますという感じですが、
  これではいつまで経っても、
  翻弄され続ける国家運営になります。


  この辺で腰を据えて、
  国家のあり方や未来像を考え、
  しっかりと決めるべきだと思うのですけどね。




  ※文中で「金持ち」「貧乏人」という言葉を使用しましたが、
   特に差別する意図はありません。
   象徴的な意味で捉えていただけると幸いです。

posted by ジャンメダイ at 17:25| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月24日

どうして不安を煽るのでしょうか

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  「フクシマを食べて応援と言っていた女性が
   脳障害になり、大変な事態に...」


  こういうニュースがあると
  知り合いから聞かされました。


  それでその記事を読んでみると、
  次のような内容でした。


  フクシマ産の食べ物を
  積極的に買って食べていた77歳の女性が、
  それを始めてから3ヶ月後に脳に障害が見つかり、
  痴呆症と診断されたということです。


  それに対して、
  年齢からして痴呆症というのは珍しくないが、
  その速度が問題だと言います。


  食べ始めて3ヶ月で、
  自分が朝ご飯に何を食べたかさえ
  わからなくなったのだと。


  通常は、言葉が浮かばないなどの
  段階を経てからそうなるもの。


  医師も、こんなに早く症状が悪化することはない
  と言っているとか。


  ニュースソースとしては、
  個人名をあげていました。



  こういう情報を私の知り合いは、
  広く知らしめるべきと考えているのです。


  様々な意見はあると思いますが、私は
  これを信じる人の方がおかしいと思っています。



  その理由はまず、
  科学的な根拠がまったく示されていないからです。


  また実際に、
  そういう女性がいたかどうかも不明です。


  病院名も医師の名前も書いてありません。


  つまり検証できない情報だ、ということです。



  仮に、実際にそういう女性がいて、
  医師も本当にそう言ったとしましょう。


  でもだからと言って、
  福島産の食品を食べると、放射能の影響で
  脳障害が起こることにはなりません。


  まして、科学的に検証された
  放射能の人体に対する影響から考えれば、
  これはまずあり得ない話です。


  無用に不安を煽るとは、
  こういうことだと思うのです。




  これに対して、
  「まだ科学的に検証されてない影響も
   あるんじゃないか」
  と反論される方もおられるでしょう。


  もちろん私も、
  その可能性まで否定するものではありません。


  ただそういう可能性まで含めて言うなら、
  他のものだってあるのではないでしょうか?


  タバコ、酒、電磁波、化学物質、粉塵...。


  それらが身体に悪い影響を与えることは
  科学的に指摘されていますが、
  それとて完全とは言えません。


  そもそも100%完全などということは
  あり得ないのです。



  多量の放射線を浴びたのでなければ、
  はっきりしているリスクはガンだけです。


  そしてガンは、そう簡単にはできません。


  なぜなら人体には修復機能があるからです。


  200mSv以下の放射線を浴びても、
  ガンで亡くなるリスクは喫煙よりはるかに低い
  というのが、科学的な根拠に基づく情報です。



  それ以外の情報は、
  少なくとも現時点においては、
  非科学的と言わざるを得ないでしょう。


  もちろん可能性は否定しませんから、
  今後も研究を進めることが大事なのは、
  言うまでもないことです。



  ここで私が問題にしたいのは、
  こういう情報が真実かどうか、
  ということではありません。


  これだけ不確かだと明確に指摘できる情報が、
  どうして出回るのか、ということです。


  この情報を発信している人は、
  おそらく善意からだと思います。


  福島産の食べ物の危険を知らせることが、
  人々を救うことになると信じているのでしょう。


  だから悪いこととは思っていないどころか、
  むしろ良いことをしていると思っているので、
  情熱がこもっているのです。


  私の知り合いも善意から、
  この情報を伝えてきたのです。



  しかし、それが善意だとしても、
  これは不安を煽る行為である
  ということに違いはありません。


  なぜなら、情報の発信者が不安だからこそ、
  善意で広めようとしているのですから。



  もし不安でなかったとすれば、
  科学的に正しいと検証してないのに
  不確かな情報をさも真実のように
  吹聴するようなことはしないでしょう。


  不安だから、
  自分はそれが真実だと信じているのです。



  真実だと信じているから、
  他の人にも真実だと認めさせないと
  気が済まないのです。



  もし他の人がそれを信じなかったら、
  自分が信じたことが否定されたことになります。


  自分が否定されることは、
  不安を抱えている人にとっては
  たまらないことです。



  ですからなお一層、力を入れて
  それを信じさせようとするのです。



  不安というのは実体がないものです。


  逆に実体がないから不安なのです。


  放射能の影響はどこまであるかわからない。


  その見えないことが不安になっています。



  これはある意味で、
  中世の魔女狩りと同じ構造です。



  魔女は魔法を使うのですから、
  理屈が通っているかどうかなど、
  どうでも良いのです。


  不安な人が「あいつは怪しい」と考えれば、
  それだけで魔女だと断定できるのです。


  何の根拠も示さずに、
  不安から「怪しい」と感じたという主観だけで、
  誰かを魔女に仕立て上げて処刑しました。


  それが中世の魔女狩りです。



  現代になって、
  さすがに魔女なんてバカバカしいと、
  その存在を信じる人がいなくなったから、
  魔女狩りが誤りだったと言われるだけ。


  それを、
  中世の人は愚かだったと現代人が言っても、
  同じことを現代人もやっているのです。



  どんなに科学的な根拠を示しても、
  不安に感じる人は不安に感じるものです。


  だって不安を感じたくて仕方がないのですから。


  人はそもそも自由です。


  自分が考えたいように考えます。


  だから不安に感じるように考えたい人は、
  その人が
  「もうこういう考え方は飽きたから変えよう」
  と思うまでは、
  同じように不安を感じ続けるのです。




  それで楽しいですか?


  楽しければ、気が済むまで続ければよいのです。


  少なくともその人の価値観において、
  それは正しいことですから。


  もし楽しくないなら、
  考え方を変えたらどうですか?



  不安を消すには、それしか方法はないのですから。

posted by ジャンメダイ at 20:38| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月17日

男女の産み分けは許されることでしょうか

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  昨日付けの読売新聞に、
  興味深い記事が載っていました。


  タイで男女の産み分けを行なっている日本人が、
  年々増えているというものです。


  着床前診断という方法を用いるそうです。


  つまり体外受精した受精卵の染色体を検査し、
  希望する性別の卵子を子宮内に戻すというもの。


  確実に男女の産み分けができるものの、
  「医療ではなく親の身勝手」という意見があると
  記事に書いてありました。



  タイでそれを行えば、アメリカで行う場合の
  約3分の1の150万円ほどですむのだとか。


  日本人の場合、
  約9割が女児を希望しているのだそうです。



  実際にこの処置を受けた人への
  インタビュー内容も書いてありました。


  男児2人を設けた後、
  どうしても女児が欲しくてやったとのこと。


  科学的に可能なサービスを受けられないことの方が
  おかしいという意見でした。



  一方で新聞側は、違う意見のようです。


  科学的に可能かどうかということの他に、
  倫理的な基準があるはずだと言うのです。


  その基準策定を、関連する学会だけに
  押し付けるのは無理があるから、
  その対応が十分にできる機関で研究して、
  社会的な基準を決めるべきだと。


  また研究者の談話として、
  「これは医療ではなく親の身勝手だ」
  という内容も掲載していました。



  私は、価値観は様々で良いと思っています。


  何が正しくて何が悪いかという倫理観には、
  絶対的なものがないからです。



  事実、新聞の意見も、
  絶対的にこれが正しいと言い切れないからこそ、
  研究して定めることを
  求めているのではありませんか。


  もし誰でもはっきりと言い切れるなら、
  そんなことすら不要です。



  そんな微妙な問題に対して、
  ある特定の価値観を絶対的なものとして決め、
  他人に押し付ける必要性があるのでしょうか?



  私は、そのことを疑問に思います。



  たとえば、
  男女の産み分けが親の身勝手だと言うなら、
  そもそも子どもを産むとか産まないとか
  決めることそのものは、
  親の身勝手ではないでしょうか?


  生物的に生まれた命(受精卵)を
  選別するのが良くないというなら、
  堕胎そのものが禁止されなければ
  ならないはずです。


  知らなかった(検査していない)なら
  選別にあたらないという意見もありますが、
  産むか産まないかを決めることが
  そもそも選別ではありませんか。


  着床前診断によって
  遺伝子上の問題が見つかったとしても、
  それもまた運命とも考えられます。


  どこにその命を抹消する
  絶対的な正当性があるのでしょう?



  もちろんこのことに対して、
  様々な意見があることは理解しています。


  私はむしろ、それで良いと思います。


  問題なのは、
  自分の意見を絶対的に正当なものだとして、
  他人に押し付けようとすることだと思うのです。




  私自身は、
  男女産み分けを推奨するものではありません。


  どちらかというと、
  そういうことをする必要性がないと思うのです。


  男女の一方でなければならないと思うのは、
  そういうことに執着しているからでしょう。


  そうでないと自分が幸せになれないと
  思っているからです。


  もしそうだとしたら、それこそが
  自分から幸せを遠ざける原因になっています。




  倫理的に正しいことを決めようとするより前に、
  今あるそのままを受け入れること。


  そのことを推進する方が、
  より幸せに近づく方法だと思うのです。

posted by ジャンメダイ at 17:02| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月14日

排除してしまえば良いのでしょうか

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  先日また、いじめを苦にしたと思われる
  中学生の自殺がありました。


  いじめが原因かどうかを調査した学校などが、
  事実を隠蔽している可能性があるとされてか、
  警察の調査が入るまでになりました。


  この問題に関して、ネット上の掲示板やブログ、
  あるいはFacebookなどのソーシャルメディアでも
  盛んに意見が交わされています。



  中には、学校が悪い、教育委員会が悪いなどと、
  一刀両断のもとに非難する人もいます。


  あるいは加害者側の学生や家族を
  誹謗中傷する人もいます。


  そういう人は、その人の価値観があって
  そう発言されているのでしょうから、
  それを悪いとは言いません。


  ただ私は、そういう意見には賛同しません。


  なぜなら、
  それでは何の解決にもならないと思うからです。




  加害者を責め、
  泣くまで反省させよという意見もありますが、
  それでは解決しません。


  それで解決しないことは、
  この世から犯罪がなくならないことでも
  明らかだと思います。


  なぜなくならないかというと、
  いじめた側にも正当な理由があるからです。



  このことを不思議に思われるかもしれませんが、
  これが理解できない限り、
  いじめや犯罪はなくなりません。


  日本では昔から、「盗人にも三分の理」
  というようなことを言ってきました。


  悪いことをする人にも、
  そうせざるを得ない理由があるということです。


  それを100%は認められないにしても、
  30%くらいは認めてあげないといけない
  という考え方です。



  人はみな、その人の価値観において、
  正しいことしかしません。



  だから、その人の価値観を変えてもらうしか、
  いじめをなくすことはできないのです。


  しかし価値観というのは、人それぞれです。


  その人が自由に決めるものです。


  それなのにその自由を奪って、
  誰かの価値観を一方的に押し付けようとすれば、
  必ず反動が現れるでしょう。


  だから、一方的に責めて罪悪感を与えようと、
  あるいは重い刑事罰を与えるようにしようと、
  いじめはなくならないのです。



  さかな君が以前、
  朝日新聞に寄稿した文章が注目されています。


  「いじめられている君へ」
  というテーマで書かれたのもので、タイトルは
  「広い海へ出てみよう」となっています。


  水槽の中の魚の社会を観察したさかな君は、
  そこにもいじめがあることに気が付きます。


  そして、その社会からいじめる側を排除しても、
  逆にいじめられる側を排除しても、
  いじめはなくならないのだそうです。


  そこで発想の転換をします。


  水槽の中という狭い社会にこだわるな
  ということです。



  外には広い海があるのですから、
  外に出たら良いと。



  今、現にいじめられている人には、
  私も同じことを言いたい。


  そこから逃げなさい。


  学校へ行かないことで、
  自分がダメ人間になるなどと考えないこと。


  世界は広いし、
  いろいろな生き方をする人がいます。


  学校は無理に行かなくてもいいし、
  勉強はいつでもどこでもできます。


  高校を卒業しなくても、
  立派に生きている人や、
  成功して社長になっている人も、
  山ほどいます。


  いじめる相手を悪いと決めつけて
  通学にこだわらなくても良いのです。


  ましてや、
  いじめられる自分に非があるなどと、
  罪悪感をいだかなくてもいいのです。



  世の中に、絶対的な善悪などありません。


  それぞれの価値観において判断しているだけです。


  だから、自分として生きれば良いのですよ。


  可能性は消えません。
  この世は無限に広いのですから。


  発想を変えて、
  むしろ他の人と違う生き方ができるチャンスだ
  と考えましょう。


  実際、チャンスなのです。


  夜明け前がもっとも暗いと言うではありませんか。


  ピンチはチャンス。


  だから、
  これをむしろ運命からの贈り物と考えて、
  その場を離れてほしいのです。
posted by ジャンメダイ at 21:46| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月04日

道を譲らない人が教えてくれる

 ■絶対に道を譲らない人            発言小町より


  今日は、人生相談からです。



  相談者は、若い女性のようです。

  歩いていて絶対に道を譲らない人がいて、
  そういう人に困ったという相談です。



  相談者自身は、
  できるだけ譲るようにしているそうです。


  ただどうしても譲れないときもあると。


  それは、右側を歩いていて右折するときなど。


  あるとき右側を歩いていて、
  もうすぐ右にある店に入ろうとしたとき、
  正面からオジサンが歩いてきて、
  鉢合わせしてしまったそうです。


  あと2歩くらいなので、
  立ってオジサンが避けるのを待ったそうです。


  するとオジサンも立ったままで動きません。


  数秒待っても避けないので、
  「その店に入るので」と言うと、
  オジサンは「左にどけろ」と言って
  手で道を開けろという仕草をします。


  仕方なくオジサンを避けて
  大回りをして店に入ったそうです。


  そのオジサンの態度が偉そうで
  とてもムカツイたのだとか。


  道の真中で女性に対して
  尊大な口をきく心理が理解できないと言います。


  同じような経験をした人がいないか?
  という相談です。




  この相談に対する回答は9件です。


  相手をかわいそうな人というように下に見て、
  自分が大人になる方が得だという意見が3分の1。


  相談者と同様に
  相手に非があるとする意見が3分の1。


  残りは、どっちもどっちだというもの。


  自分は譲る方だと言いながら、
  オジサンに対して譲らなかったのだから、
  程度の差に過ぎないということです。




  私は、相談者に共感します。(笑)


  実は私も、特に東京に住んでいたころ、
  同じように考えてきたからです。


  広い道路の右端を私があるいていると、
  前方の左の道路から入ってきたおばさんが、
  スーッと私の前の進路上に来るのです。


  あとは下を見て
  まっすぐにこっちへ向かってきます。


  「こっちが先にこの道の右側を
   歩いているんだからさあ、お前がどけろよ!」


  そう思って、わざとぶつかってやろうかと
  思うこともしばしばありました。



  その点、大阪は良かったです。(笑)


  特におばさんなどはサーッと道を開けてくれます。


  大阪のおばさんは強烈という先入観があり、
  絶対に道など譲らないと思っていましたが、
  実際は違いました。


  おそらく普段から
  関わりあいになりたくない方々が身近にいるので、
  自己保身の考えが身についているのではないか
  と思いましたね。


  その当時の私は、
  見た目がけっこう強面(こわもて)だったのです。



  それはさておき、
  私がそういう考え方をしていたので、
  相談者の気持ちは理解できるのです。


  でもそれは、
  自分の価値観を相手に押し付ける行為なのだ
  と今になって思います。


  自分が先に右側を歩いていたからとか、
  自分は右側に曲がるのだからなど、
  たしかに理由はあるでしょう。


  でも、相手には相手の理由があるのです。



  実はタイでも、
  同じようなことがよくありました。


  3人は並んで歩ける歩道で、私が右端、
  相手が向こうから反対側を歩いてきます。


  そのまますれ違えば何ごともなくすむ状況で、
  相手がスーッと私の目の前に入ってくるのです。


  「いったい何をしたいの!?
   そんなに嫌がらせをしたいの!?」


  そんな風に思いましたよ。


  でもあとになってわかったのですが、
  その人の進路に下水道のフタがあったのです。


  日本のと違って、コンクリート製のフタです。


  実はタイ人は、
  そういうフタの上を歩きたがりません。


  なぜなら、落ちることがあるから。



  日本じゃ考えられないでしょ?


  本当に落ちることがあるのです。


  それだけ品質が悪く、
  タイ人も信用していないのです。


  それがわかったとき、
  相手の気持ちがわかりました。



  相手には相手の価値観があり、
  理由があるのです。



  仮にその価値観を知らなくても、
  あるいは同意できなくても、
  相手にとっては正当な理由があると
  想像することはできます。



  そういうように、
  相手の価値観は自分とは違う
  と考えることが大切だと思います。



  そうは言っても、
  なかなか心をしたがわせるのは大変でしょう。


  だからこそ、そういう相手がありがたいのです。


  何度も何度も飽きずに
  そういう状況を創りだしてくれるお陰で、
  自分の頭にこびりついた考え方の習慣を
  改めることも可能になるのですから。


  そう考えたら、道を避けないオジサンが
  天使のように見えませんか?

posted by ジャンメダイ at 19:49| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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