理想の自分と出合う。自分探しの方法が、ここにあります。

「自己変革3つのステップ」

2012年06月01日

すべてが御心に叶う

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  地下鉄サリン事件をオウム真理教が起こした時、
  世間は一斉に宗教を警戒しました。


  そのため既存の宗教は、
  「うちとオウムは違う」と言って、
  自らの安全性をアピールしました。


  そのとき私は、オウムも既存の宗教も
  同じだと思っていました。



  なぜなら、
  いつでも殺人に走れる仕組みがあったからです。



  1つは、この世の命よりも大切なモノがある
  という考え方です。


  友のために命を投げ出すことが
  大きな愛だと言って推奨するなら、
  愛は命より大切だということになります。


  また、永遠の命ということを言えば、
  この世の命を軽視することも可能になります。


  自爆テロを起こせるのは、
  そういうことではないでしょうか?



  もう1つは、神になんらかの意思があり、
  それをこの世に実現しようとしている

  という考え方です。


  しかもその神の意志は、
  宗教指導者によって伝えられる。


  こうなると末端の信者には、
  何が良くて何が悪いのか判断できなくなります。


  したがって、
  宗教指導者がこうしないと神罰が下るとか、
  仏罰が当たるなどと言う場合、
  いつでも殺人を行えるわけです。



  もちろんだからと言って、
  既存の宗教が危険なことを考えている
  などとは言いません。


  あくまでも可能性がある、というだけです。



  でも、よく考えてみてほしいのです。


  全知全能の神がいて、この世を創ったとするなら、
  どうして人間を従わせる必要性が
  あるのでしょうか?


  あえて人間の意思で従うことを選択させなくても、
  神の好きなように創れば良いでしょう。


  人間が言うことを聞かないと、
  怒って罰しなければならないほど、
  神は心が狭いのでしょうか?


  どう考えても、
  そういう考え方では矛盾が生じます。



  私は、神というものがいるとしても、
  人間にああしろこうしろと
  命じたりはしないと思います。


  なぜなら人間には、
  自由というものが備わっているからです。


  自由というのは、何でもして良いということ。


  「してもいいけど罰するよ」というのは、
  自由ではありません。



  もし神がいるなら、人間のやることを
  微笑みながら見ているのではないでしょうか?


  ちょうど子どもたちを、
  安全なところで遊ばせているのと同じです。


  子どもたちがどうやって遊ぶかなど、
  親にしてみればどうでも良いことでしょう。


  時にはケンカしたり、すり傷を作ったりもします。


  でもそうやって成長することがわかっているから、
  安心して見ていられるのです。



  「何をやってもいいよ。」


  それが神の御心だと思います。


  だから何をやっても、神の御心に叶うのです。



  では神が善悪を決めないとすれば、
  何を基準に選択すればよいでしょうか?


  それは、
  「自分らしいかどうか」という基準だと思います。



  殺人は自分らしいですか?


  答がノーなら、人を殺さないことです。


  処罰されるかどうかが基準ではなく、
  自分らしいかどうかで考えるのです。



posted by ジャンメダイ at 21:13| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
★ブログランキングに参加しています。★
1日1回、ポチッ↓↓↓とご支援ください。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。