理想の自分と出合う。自分探しの方法が、ここにあります。

「自己変革3つのステップ」

2012年06月27日

自由になれないのは○○○があるから

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  このメルマガのタイトルにもしていますが、
  「自由に生きる」ということが大きなテーマです。


  「自由」というのは、
  なんても自分の思い通りにやれること。


  基本的な人権に定められているように、
  人として生まれた時点で備わっている
  基本的な権利です。


  歴史的に見ても人々は、
  自由を勝ち取るために戦ってきた
  と言ってもよいでしょう。


  あるいは人間社会は、
  常に自由と統制とが争ってきた
  と言っても良いかもしれませんね。



  卑近な例ですが、
  最近日本では、レバ刺しの提供が
  禁止されることになったそうですね。


  ユッケで食中毒を起こし、
  生肉を食べることの危険性が指摘された、
  という背景があります。


  これなどもまさに、
  自由と統制の争いと言って良いでしょう。


  そもそも食中毒を起こしたのは、
  基準に従った食肉の処理をしなかったから。


  つまり反対派は、
  基準通りに処理しさえすれば防げる問題なので、
  一律に全面的に禁止するというのは、
  食文化の自由を侵害すると言うわけです。


  もちろん禁止賛成派にも言い分があります。


  客は、提供された肉が基準に従って
  処理されたのかどうかわからないのだから、
  そもそもそういう可能性のある肉を
  提供すべきでない。


  だったら食べなきゃいいじゃないか、
  という意見もありますが、
  提供されてたら安全だと思い込んでしまう、
  という反論もあるでしょう。


  どっちが正しいのか?
  それに対する答はありませんよ。


  どちらも、
  それぞれの価値観に従えば正しいのです。


  はっきり言えることは、
  禁止されれば自由が制限される、
  ということだけです。



  さてこの自由ですが、
  本来人間なら誰しも持っているはずなのに、
  どうして自由になれないのでしょう?


  特に日本は、細かい規則がいっぱいで大変です。


  エスカレーターは右側(関西は左側)を
  空けて並ばなければならない。


  電車内で携帯電話を使ってはいけない。
  優先席付近では電源も切らないといけない。


  こんなルール、外国の人は知りませんよ。


  マナー、規則、ルール、法律など、
  どんな呼び方をしようとかまいませんが、
  すべて自由を規制するものです。


  さらに常識だとか空気なんてのもありますね。


  こうやって、「ああしてはいけない」
  「こうでなければならない」など、
  自分の意思とは異なる考え方や価値観を
  押し付けられているのです。



  どうしてこんなことになるのでしょうか?


  それは、人々が必要性を感じているからです。


  その必要性の度合いが強ければ強いほど、
  より多くの、そしてより強制力のある規範が
  定められるのです。



  たとえば、
  先ほどのエスカレーターのマナーです。


  そうまでして全員を統制してでも、
  1分1秒を争って先に行きたい、
  先に行く必要性のある人が
  多いということでしょう。


  違いますか?


  それが証拠に、
  ちょっとでもはみ出したりして
  マナーを守らない人がいると、
  罵声を浴びせたり、わざとぶつかったりする。


  そうやって相手に非を認めさせ、
  罪悪感を抱かせないと気がすまないのでしょう。


  そうする価値があると感じているから、
  そうするのではありませんか?


  つまりそれだけ、
  マナーを守らせる必要性があると
  思っているということです。




  どうしてそんなに強い必要性を
  感じてしまうのでしょうか?


  それは、心に不安を感じているからです。
  安心できないからです。



  他人がマナーを守らないということは、
  マナーを守っている自分の
  価値観が減少する気がして、
  許せない
のです。


  自分が攻撃されているように感じるから、
  必死で抵抗するのですよ。



  もちろん、自分の自由意思で
  規範を守るということはあります。


  ルールを守りたいから守るというのも、
  これもまた自由です。


  それが本当に自由でやっているかどうかは、
  その考えに従うときに
  楽しいかどうかでわかります。


  自分が自由に考え、行動するときは
  楽しいものです。




  他人が自分と
  同じようにしないと気に入らないのは、
  それは自由でやっているのではなく、
  必要性に迫られてやっているからです。


  「私にだけ規範を守らせておいて、
   あなたが守らないのはずるいよ。」


  そういう気持ちが湧いてくるから、
  他人の逸脱を許せないのです。



  自由は、生まれもった性質です。


  ですから、
  誰からも制限されることはありません。


  制限しているのは、自分自身です。


  自分が必要性を感じることによって、
  自分の自由を制限しているのです。


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2012年06月19日

正しさよりも楽しさ

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  斎藤一人さんの本を読んで、
  なるほどなあと思うことがありました。


  それは、どっちが正しいかを競うから
  戦争になるのだという話です。



  資本主義と社会主義、
  キリスト教とイスラム教など、
  対立する勢力は正しさを競い合います。


  自分が正しいとするためには、
  相手が間違いであるとしなければなりません。


  かくして泥沼の争いに発展するというわけです。


  どっちが正しいかで判断するのではなく、
  どっちが楽しいかで判断すべきだと、
  一人さんは言います。



  そうすれば自分も楽しいし、
  相手も楽しいと言えるからです。



  まさにその通りだなあと思いました。


  私も、絶対的な善悪などないと言ってきました。


  価値観は人それぞれだから、
  100人いれば100通りの善悪があるのだと。


  それぞれの基準とする価値観が違うのに、
  現実を無視して自分の方が正しいと考えるから、
  その正当性を証明するのに
  人数の多寡を争うようになるのです。


  つまり、「常識」という圧力です。


  大多数は自分の側だと、
  人数の力を借りようとするわけです。


  仮に人数の多寡で決まるとしても、
  それだけのことではありませんか。


  本来、絶対的な善悪であろうはずがありません。


  たまたま多数になっただけ。


  それなのにそう思えないから、
  少数派を殲滅せずにはおれなくなるのです。



  私も、「自分らしさ」を基準にすることを
  訴えています。



  どっちが正しいかではなく、
  どっちが自分らしいかです。



  「楽しさ」という基準は、ちょっと微妙です。


  刹那的な楽しさも含まれてしまうからです。


  それで一人さんも、
  楽(らく)と楽しいは違うと言います。



  仕事をしないのは楽だけれど、
  楽しくはないでしょうと。



  たとえば、
  美味しい料理が目の前にあって食べたいけど、
  ダイエットしなければと思っているとしましょう。


  食べるか食べないかの基準は、どうしますか?


  どっちが正しいかという基準なんてありません。


  食べて太って不健康になったら、
  家族が迷惑するから正しくない。


  そう考えることもできますが、
  そうでない考え方もありますよね。


  食べずにイライラしたら、
  家族が迷惑するから正しくない。


  そうとも言えるわけです。


  当然、楽しさも人それぞれでしょう。


  だから、どれが正解かなんて言えないのです。


  その人がその時点で、
  どうするのが自分にとって適切かを
  判断する他ないのです。


  そして選んだ答が、
  その時点での正解だと思うのです。




  その選んだ答によって、
  また何らかの結果がもたらされます。


  今度はその結果を見て、
  またどうするかを判断するのです。


  人生とは、その繰り返しではないでしょうか。



  どっちが正しいかを争って、
  イライラし、果ては殺し合いをする。


  そうなることは原因と結果なので必然ですが、
  それでもそれをしたいと言うなら、
  好きなだけすれば良いと思います。


  おそらくその人にとっては、
  そうすることが好きなのでしょうから。


  何度も何度も同じことを繰り返し、
  いい加減に飽きてきた頃、
  人はやっと変われるのです。


  そういうように、
  変わるためのチャンスを与えてくれる場が、
  人生なのだと思います。




  そうわかったら、同じことを繰り返すことが、
  バカらしく思えませんか?


  もしそう思えたなら、変えてみましょう。


  今までとは違う選択肢が見つかるはずです。


  今度は、別の選択肢を選んでみましょう。

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2012年06月13日

素敵な贈り物を受け取りますか?

 ■私の行動は酷いことなのでしょうか?    発言小町より


  今日は、人生相談からです。



  相談者は、結婚式を控えた女性。

  従姉妹の結婚披露宴への出席を
  仕事を理由に断ったそうですが、
  それが非常識かどうかという相談です。



  おばさんの家族とは、
  ある事情で疎遠になっていたそうです。


  それが相談者の結婚を機に、
  また付き合うようにすることになったとか。


  それで相談者の結婚披露宴に招待したところ、
  その4ヶ月後におばさんの娘、
  つまり従姉妹も結婚するとかで、
  披露宴に招待されたそうです。


  ところが相談者の披露宴の4日前に、
  従姉妹の披露宴の日の仕事が、
  相談者を指名して入ったのだとか。


  相談者の仕事は特殊で、
  他の人が代われないようなもの。


  しかも今後のことを考えると、
  断るのがもったいないと思えたそうです。


  それで仕事を引き受けることにしたのだとか。


  従姉妹の披露宴には、
  ご主人に代理で出席してもらうように話をして、
  母親を通じておばさんに伝えてもらったそうです。


  しかしそれを聞いたおばさんは大変怒って、
  相談者の披露宴への出席を
  ボイコットしたようです。


  相談者は、
  まさか3日前にボイコットされるとは思わず、
  戸惑っているようです。


  しかも母親から、
  「お前が先にひどいことをした」と言われ、
  心が折れてしまったとか。


  自分は非常識だったのだろうか、
  という相談です。




  この相談に対する回答は26件です。


  半分以上は非常識とか、
  考えが足りないという意見ですね。


  過ぎたことはしょうがないとか、
  自分がキャンセルしたのだから、
  相手がキャンセルしても仕方ないという
  意見もあります。




  私の考えは、
  常識か非常識かなんて気にするな
  というものです。


  おばさんたちが、
  相談者の思い通りの反応を示さなかったので、
  驚いたのでしょうね。


  そんなことくらいで3日前に披露宴の出席を
  ボイコットするなんてあり得ない。


  そういう考えを持っていたのに、
  おばさんたちはボイコットしてしまった。


  だから、おばさんと自分と、
  どっちが正しいのかわからなくなったのでしょう。


  いえ、本当は自分が正しいと思っているから、
  みんなからそう言ってほしかったのでは?


  常識か非常識かというのは、
  要はみんなが正しいと思うか
  正しくないと思うかということです。


  多くの人から正しいという
  お墨付きがほしかったのでしょう。




  でもね、
  そういう考え方をするから苦しむのです。


  「非常識だ」とか「非常識じゃない」と
  回答を寄せた人も同じです。


  そんなところにとらわれるから、
  苦しむのですよ。



  もしおばさんが、
  相談者と同じ価値観を持っていたら
  どうでしょうか?


  「仕事があるんじゃしょうがないわね。
   それに代理にご主人が来てくださるのだから、
   それで十分よ。」


  おばさんがそう言ったとしたら、
  そもそも掲示板に相談を載せることさえ
  なかったでしょうけど。


  そうした場合、
  「非常識だ」と言った人はどうなります?


  正しくないと思っているのに、
  それで上手くいったとしたら、
  正しくないという考えが間違っている
  ということになりませんか?



  他人がどのように考え、
  どういう行動を取るかなんて、
  その人でもなければわかりません。



  だから身近な家族であっても、
  すぐにケンカをするなど、
  意見が対立するのではありませんか。



  反省というのは、
  次の行動のためにするものです。


  してしまった行動に対して
  罪悪感を与えるためにするのではありません。



  おばさんのような行動をする人も
  いることがわかったのですから、
  ありがたいことではありませんか。


  もし今度同じようなことがあれば、
  もう少し慎重な行動ができるかもしれません。


  そうなったら、自分自身が
  成長したということではありませんか。


  と言うことは、
  その成長を支えてくれたのはおばさんです。


  とてもありがたい存在ですよね。



  非常識だと言って
  他人や自分を責める考え方をやめれば、
  すべての出来事は
  あなたへの素敵な贈り物になります。



  贈り物を受け取るのか、
  それとも誰かを責めたり恨んだりするのか、
  選ぶのはあなた自身です。

posted by ジャンメダイ at 18:55| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月08日

これはチャンスだ

 ■ただの愚痴です。ママ関係…つい涙してしまいました 発言小町より


  今日は、人生相談からです。



  相談者は、小学生と幼稚園児の子を持つ女性。

  ママ友からつらい仕打ちを受けていて、
  どうすれば良いかという相談です。



  上の子が以前いじめられたとき、
  いじめた子の親から
  「何かあったのか?」と問われたので、
  やんわりと事情を説明したのだそうです。


  するとそれから、無視されたり、
  ひどい仕打ちをされたり、
  周囲にも自分のことを悪く言われたのだとか。


  面と向かっては失礼な態度をとるくせに、
  他の人がいると仲良しを装う。


  この5年、そういう相手と付き合って
  しんどい思いをしてきたそうです。


  最近、またその相手と会うことがあり、
  また不愉快な思いをさせられたとか。


  気にしないようにしているけれど、
  ついそのことを考えて
  悲しくなってしまうようです。


  相談というより、
  ただの愚痴ですということでした。



  この相談に対する回答は8件です。


  すべて相談者に同情的です。


  相手の方の方がかわいそうな人なのだからと、
  相談者を慰める声が多いです。


  また、必ず味方がいるからと励ます声も。


  中には、相手にも言い分があったと思うが、
  それを聞いたのかと尋ねる意見もありました。




  私の考えは、
  「これはチャンスだ!」ということです。



  もちろん、
  どうしても耐えられないほどつらいなら、
  逃げ出す方法もあります。


  引越しして環境を変えるのが一番でしょうね。


  だって、
  つらい思いをしながら何年も過ごすのって、
  時間がもったいないじゃありませんか。



  もしその決断ができないとか、
  いやもっと頑張ってみたいと思うのでしたら、
  「これはチャンスだ!」と
  考える方法をお勧めします。


  冗談ではありませんよ。本気でそう言っています。


  相手を変えることはできないのですから、
  自分が変わるしかありません。


  自分を変えることによって、
  今の環境のままで楽しくなる方法を考えるのです。



  その第一歩が、
  「これはチャンスだ!」と
  言ってみるということなのです。



  こう言うとあなたの脳は、
  「今の状況」と「チャンスだ」という判断を
  結びつける理由を考え始めます。


  どんな答が出てくるかわかりませんが、
  必ず答が出てきます。


  だから、つらくなってきたら
  「これはチャンスだ!」と言って、
  あとは放っておくことです。



  ふとしたときに、
  「こう考えてみたらどうだろうか?」という
  アイデアが思い浮かぶでしょう。


  あなたの脳が答を出したのです。


  あるいはテレビで誰かが話したこととか、
  ふと立ち読みした本の一部とか、
  友達の話の中に答を見つけるかもしれません。


  あなたの脳は、その頭の中に収まっている
  物質だけではありませんから。


  ご存知のように潜在意識とつながっていて、
  それはすべての人とつながっているのです。


  だからあらゆるところから、答が得られるのです。



  まあそんな、だいそれたことまで言わなくても、
  実際にチャンスなのです。


  第一に、その相手のお陰で、
  いつもそのことを考えてしまうのでしょう?


  ということは、
  「いつもこう考えなければ」ということがあっても
  なかなか継続できないものですが、
  そのつらさによって容易に継続できる状況が
  作られているとも言えるわけです。


  たとえば私はいつも
  「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ。」
  と言いますが、そんなこと普段考えていますか?


  おそらく多くの人は、考えていないでしょう。


  誰かから指摘されて、はじめて気づくのです。


  でも、そういうつらい目に合うと違います。


  最初は相手に復讐することとか、
  逃げ出すこととか考えるでしょう。


  でもどう考えても、
  その方法では上手くいかないとわかります。


  そうすると最終的に、
  「自分が変わるしかないなあ」と
  思えてくるのです。


  どう変わるかはさておき、
  少なくとも「自分が変わる」という
  結論に至ったということは、
  ものすごい進歩ですよ。



  それを何度も何度も繰り返して考えるのですから、
  自分の考え方の習慣になるのは間違いありません。


  誰のお陰ですか?


  そう、その憎たらしい相手のお陰ですよね。


  ありがたいでしょ?
  そう、ありがたい存在なのです。


  自分の人生に関わってくる人というのは、
  実はすべて天使なのです。


posted by ジャンメダイ at 18:13| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月05日

教える者がもっともよく学ぶ

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  知識には、インプット(入力)と
  アウトプット(出力)があります。


  たとえば本を読んで知識を得るのは
  インプットです。


  得た知識を誰かに教えれば、
  それはアウトプットです。


  こう説明すると、知識を得るためには
  インプットすることを増やせば良い、
  と考えるかもしれませんね。


  しかし私の経験上、
  それでは知識が定着しません。



  このことは、英語学習などを考えてみれば
  わかりやすいでしょう。


  読んで覚えるリーディングと、
  聞いて覚えるヒアリングは、
  インプットと言えます。


  でもそれだけでは、
  英語を話せるようになりません。


  英語が使えるようになるためには、
  アウトプットが大切です。


  話すスピーキングと、書くライティングです。



  まあ英語ができない私が
  偉そうなことは言えませんが、
  一般的にそれは納得していただけると思います。


  つまり、覚えた知識を使うことによって、
  自分の身につくということです。



  子どものころに覚えた九九も、
  言ったり書いたりして覚えました。


  体験的に、
  アウトプットの重要性をわかっているのです。



  そういう単純な知識でない場合も、
  同じことが言えると思います。


  私は家庭教師のバイトをしたことがありましたが、
  意外と正確に理解していない知識があることに
  気付かされました。


  聞いただけのときは、
  なんとなくわかったつもりでいたのですね。


  いざ何かを説明しようとすると、
  うまく説明できないという体験もありました。


  他の誰かにきちんと説明しようとすると、
  ただ聞くだけと違って、
  かなり精緻に考える必要があるのです。



  このことを昔の人は、
  「教える者がもっともよく学ぶ」と言いました。



  ですから、
  これを利用しない手はないと思うのです。



  もし、その道の達人になりたければ、
  プロになりたければ、専門家になりたければ、
  それについて他の誰かに教えることです。


  そうすれば、
  否が応でも必要な知識が身につくでしょう。


  知識を身につけてから教えるのではありません。


  学びながら教えるのです。




  もしあなたが、
  勉強がよくできるようになりたいなら、
  自分より成績が悪い友達に、
  どんどん教えることです。


  もしあなたが、
  美容師になりたいと思っているなら、
  美容師になりたいと思っている他の人に、
  どんどん教えることです。


  誰かに教えたら、
  その人の方が上達して自分が損するなどと、
  心の狭いことを言っているようではダメです。


  実際、教えた方が身につくのですから、
  得するのは自分です。



  私は学生のころ、数学が得意でした。


  授業中に練習問題を出されても、
  すぐに解けるので時間が余って仕方がありません。


  すると先生が、
  他の人に教えてあげるようにと言うのです。


  それ以来私は、
  数学の授業では先生の助手のような役割を担い、
  友達に教えていました。


  すると、知識がどんどん定着するのです。


  だから復習などしたことがありません。


  家でやるのは予習だけで済みました。



  これは、
  自慢したいから言うのではありませんよ。


  実際にそういうことがあるから、
  それを他の人にも利用してほしいのです。


  それともう1つ目的があります。


  私が、
  こうやってメルマガで知識を提供すると、
  私自身に知識が定着します。


  定着した知識は知恵となって、
  私自身を助けてくれるでしょう。



  どうです?わかりましたか?


  だからもし、あなたが
  自由に、そして幸せに生きたいなら、
  その知識をブログやメルマガなどで
  発信することです。



  誰かのためにすることが、すなわち
  自分自身のためになるのです。

posted by ジャンメダイ at 21:07| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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