理想の自分と出合う。自分探しの方法が、ここにあります。

「自己変革3つのステップ」

2012年05月28日

素晴らしい存在だから

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  2010年12月に、野口嘉則さんの本を紹介しました。


  「僕を支えた母の言葉」というフォトブックです。


  この本は、ユーチューブに掲載された動画が
  元になっています。


  そのときのメルマガの内容は、ブログ記事の
  「本当の姿を見る」でご覧いただけます。



  先日、久しぶりにその動画を見ました。


  そしてまた、泣いてしまいました。


  心の琴線に触れるからだと思います。


  感動して、涙が止まらなくなるのです。



  「お前は素晴らしいのだから。」


  そう確信を持って、母親は子どもを見ていました。


  しかも実の子でもないのに。


  どうしてそこまで、確信を持てたのでしょうか?



  その理由について、
  野口嘉則さんは何も言っていません。


  なので想像するしかないのですが、
  おそらくこの母親は、
  何らかの信仰を持っていたと思うのです。


  どんな事情で養子にしたのかもわかりませんが、
  ひょっとしたら子どもが
  できなかったのかもしれません。


  子どもが欲しくてたまらなかったけれど、
  なかなかできなかった。


  それで信仰を持ったのか、
  あるいは以前から信じていた宗教で、
  祈願したのかもしれません。


  そしてやっと、養子という形ではあっても、
  我が子を授かったのではないでしょうか。


  「これは神から授かった子。
   だから素晴らしい子に違いないのだ。」



  そういうように思ったのかもしれません。



  どんなきっかけだとしても、
  母親はそう信じていたようです。


  「大丈夫。お前は素晴らしい子なのだから。」


  そういう目で見られ続けた子どもは、
  いつしか非行から立ち直り、
  社会的にも成功することになりました。


  母親の愛に、懸命に応えようと努力したからです。



  でも私は思うのです。


  仮に社会的に成功するという結果を残さなくても、
  人はみな素晴らしい存在なのだと。



  なぜなら、
  私たちの本質である「ひとつのもの」は、
  素晴らしい存在だからです。


  その「ひとつのもの」が、
  この世で自分自身を体験的に知ろうとして、
  私たちとなって現れたのです。


  それが素晴らしい存在でないはずがありません。



  結果が出るかどうかが問題なのではありません。


  問題は、私たちが素晴らしい存在として、
  どんな体験ができるかです。



  流されて、反応するだけの体験で
  終わらせるのでしょうか?


  それとも自分で決めて、
  自分らしく生きる体験をするのでしょうか?


  願わくば後者であってほしいと思うのです。

posted by ジャンメダイ at 17:59| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月22日

仲違いする家族を前に

 ■夫と義実家族の板挟みでどうしたらいいか…。    発言小町より


  今日は、人生相談からです。



  相談者は、30歳の女性。

  同居中の義理の家族と夫が不仲で、
  どうすれば良いかという相談です。



  結婚8年目で、ご主人も同い年の30歳、
  1歳の男の子が1人いる家族だそうです。


  ご主人が長男ということで、
  義理の実家を立て直して同居することになり、
  同居して2週間だとか。


  義理の家族は同居を喜んでくれ、
  相談者をとても可愛がってくれるそうです。


  しかし、日に日に
  ご主人と義理の家族の仲が悪くなり、
  板挟みで悩んでいるのだとか。


  ご主人の言い分は、
  義母の生活音がうるさい、義父の余計な一言が嫌、
  義祖母がわがままというようなもの。


  一方の義理の家族は、
  ご主人を神経質でうるさいと言っているそうです。


  ご主人はがまんできないようで、
  「もう嫌だ、出て行きたい!」と
  繰り返し言うほど。


  しかしアパートは引き払ったし、
  住宅ローンを抱えて別世帯を持つのも不可能。


  相談者としては
  ご主人の言い分に理解を示すものの、
  産み育ててくれた義父母も大切にしたいと。


  妻として、どうすればよいか、という相談です。



  この相談に対する回答は4件です。


  実の親子で話し合わせればよいとか、
  安易に同居した報いだから、
  ご主人に任せて相談者はでしゃばらない方が良い、
  という意見が大半です。


  まず一定の距離を置き、
  ルールを話し合って決めたらどうか
  という穏当な意見もありました。




  私の考えは、
  自分のことだけ考えれば良い、ということです。


  まず、安易な同居をした報いだとか、
  実の家族なのにわからなかったのか
  という批判的な意見に対しては、
  耳を貸す必要もないと思います。


  家族とは言え他人ですから、
  その価値観や考え方を
  100%理解できるものでもありません。


  それに人は変わるものですから、
  同居したときは良くても、
  時間がたつにつれて変化することだってあります。


  だから、常に今の状況に
  どう対処するかしかないのです。



  どちらが正しいかという争いは不毛です。


  価値観は人それぞれですから、
  どちらも自分の方が正しいと思っています。


  ならばどうするか?


  自分がどうするかを考える他ないのです。



  ご主人のことは、ご主人が考えるほかなく、
  義理の家族のことは、同様に義理の家族自身が
  考えるほかないのです。


  相談者にできることは、相談者自身が
  どうするかを考えるだけで良いのです。




  ご主人がイライラしているのを
  見るのが嫌なのですか?


  もしそうなら、見ないようにすればよろしい。


  愚痴を聞きたくないなら、
  聞かないと宣言したら良いでしょう。



  他人は変えられないのです。


  自分が変わるしかないのです。


  どうしても嫌なら、出ていくしかないでしょう。


  あるいは一緒に住んでも、
  顔を合わせないようにすれば良いでしょう。



  家族は一緒に仲良く住むべしというような、
  価値観に縛られないことです。



  その価値観が相談者を苦しめるなら、
  それを捨てることですよ。



  相手に期待し、
  相手を変えようとするから辛くなるのです。


  今の状況を受け入れ、
  今の状況で自分がどうするかを決めるだけのこと。



  そう腹をくくれば、楽になりますよ。

posted by ジャンメダイ at 19:56| Comment(2) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月19日

仕事を辞めるべきか

 ■年収500万弱、婚約者から仕事を辞めてほしいと    発言小町より


  今日は、人生相談からです。



  相談者は、20代後半の女性。

  婚約中の彼から今の仕事を辞めるように言われ、
  どうすれば良いかという相談です。



  相談者は専門職で入社6年目。


  育児休暇もとれるし、
  時短も可能だという恵まれた会社で、
  しかも年収は500万円弱ほどあるとか。


  30代後半の彼は、
  それほど年収が良いとも言えないので、
  共働きをすることになっていたそうです。


  新居は彼の実家の土地に建築中で、
  彼の両親とは敷地内同居という形。


  そんな彼との結婚式が近づいてきたころ、
  彼から急に今の仕事を辞めて欲しいと
  言われたのだとか。


  理由は、
  彼の方が先に帰宅することになるため、
  それが嫌なのだそうです。


  相談者も、もし彼が先に帰宅して、
  実家でご飯を食べるようなことになれば、
  いい気はしないと言います。


  今まで実家で暮らしているため、
  彼は家事などしたことがないのだとか。


  もしどうしても仕事をしたいのなら、
  家の近くで家事に支障がないようにしてほしい
  というのが、彼の考えだそうです。


  彼は意見をまったく譲ろうとせず、
  結婚するなら彼に従うしかないと
  思っているのだとか。


  ただ、
  先に話し合って決めておいたことを覆し、
  かたくなになる彼に疑問も感じると言います。


  ご主人が先に帰宅される方など、
  多くの方から意見が聞きたいという相談です。



  この相談に対する回答は、
  実に120件を超えています。


  しかも、そのほぼ100%が、
  仕事を辞めることに懐疑的です。


  多くが、そんな良い条件の会社を辞めるのは
  もったいないからと。


  彼との結婚そのものを考え直した方が良い
  という意見も多数ありました。


  おそらく義父母からの入れ知恵だろうから、
  それに従っていたら、
  結婚してから苦労するという理由です。



  私はこれを読んで、
  時代は変わったなと思いました。


  ほんの20〜30年前だったら、
  まだ女性は家庭に入るのが当然という意見が、
  それなりにあったと思うのです。



  今や、共働きは当たり前というだけでなく、
  家事の分担も当然ということのようです。


  やったことがないからこそ、
  やらせろという意見もありましたね。



  私の考えは、
  正解などどこにもない、ということです。



  相談者が、
  これが自分らしいと思う方法を
  選択すれば良いだけです。



  ただ気づいて欲しいのは、
  価値観は人それぞれだということです。


  自分の意見を譲らない彼だから
  ダメなのではありません。


  自分の意見を譲らない彼を
  ダメと思うかどうか、
  それが自分らしいかどうかです。



  人は、変わるものです。


  ただし、変えさせることはできません。



  変えさせようとすれば、
  かたくなになってしまい、
  逆に変わらなくなってしまいます。


  変わることを期待せずに、
  変わらないことを容認する。


  そうしたとき、
  人は変わるきっかけを得るのです。



  相談者にとって、
  必要なことは何なのでしょう?


  どうしても譲れないものは何なのでしょう?


  問われているのは、それだけですよ。



  500万円の年収が、
  いったいどうしたと言うのです。


  それにしがみつくから、
  見えなくなるのですよ。


  それは絶対に必要なものですか?


  その問いに、自分で答えることです。



  お金がなければ食べられないし、
  飢えてしまう。


  極論すればそうですが、それがどうしました?


  極論には極論で答えるとすると、
  いずれ人はみな死ぬのですよ。



  どこまで必要をなくすことができるか。


  減らせば減らしただけ、
  人は自由になります。


  自由になればなっただけ、
  人は幸せになります。


  幸せになればなっただけ、
  人は自分らしく生きられるのです。


posted by ジャンメダイ at 20:25| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月14日

バカにされて言い返す言葉

 ■「頭悪いね」と言われたとき   発言小町より


  今日は、人生相談からです。


  読売新聞・人生案内のWEB版は、
  新聞購読者限定(読売プレミアム)に移行され、
  一般の方の閲覧ができなくなりました。


  残念ですが、それも会社の方針なのでしょう。


  ということで今回からは、
  YOMIURI ONLINEの「大手小町」にある
  掲示板「発言小町」から
  テーマを探してお届けします。



  相談者は、若い女性。

  書店で2人の女性客とトラブルになった経験から、
  うまく言い返す方法についての相談です。



  書店でお目当ての本を探すと、
  その本の前に2人の客が並んで
  立ち読みしていたそうです。


  しばらく待っていたが、
  まったく移動する気配がないため、
  「すみません」と言いながら
  2人の間から本を取ろうとしたのだとか。


  すると1人の女性が、
  「すみませんって言えよ!」と
  命令口調で言ってきたそうです。


  声が小さくて、
  聞こえなかったかもしれないと言います。


  でも、命令口調で、
  ケンカを売るような感じで言われたことに、
  違和感を感じたそうです。


  しかも、長時間立ち読みして、
  邪魔をしていたのはその2人の方。


  謝るべきは、むしろその2人ではないか
  と考えるのだそうです。


  それで
  「すみませんと言えよと言われる覚えはない」
  と反論すると、
  言うのが普通だと責められたとか。


  さらに反論すると、
  「頭がおかしい」と言われる始末。


  これに対して上手く言い返せなかったので、
  どう言い返せばよいかという相談です。



  この相談に対して、
  50人くらいの人から反応がありました。


  「どっちもどっち」という意見や、
  「相手にしないこと」という意見が目立ちます。


  最終目的は本を手にすることなのだから、
  目的を見失わないようにしたらと、
  大人の対応を求める声もあります。


  中には理路整然と、
  話が噛み合ってないよと説明する方もいましたね。


  つまり、相談者は
  すみませんと言ったという前提だけれど、
  相手は言っていないという前提で
  話をしているということです。


  相談者だって、
  すみませんと言わなかったら失礼だと
  思っているのだから、
  相手の言い分はその前提に立てば、
  当然のことだと言うのです。


  だから相談者が「頭が悪い」と言われたのは、
  その意味では当然だと。


  ただ単に、「すみませんと言いましたよ」と
  言えば良かったのだという指摘に、
  相談者も納得していたようです。


  言った言わないの水掛け論になることが
  見えていたのでそう言わなかったものの、
  もしそう言っていれば、
  非常識な女性と思われずに済んだだろうと。



  さて、みなさんはどう思われますか?


  私は、これでは今後も同じことを
  繰り返すのだろうなと感じました。



  まず、
  警察を呼ぶとか捨て台詞を吐くなどの対応は、
  まったく意味がありません。


  その2人を傷つけ、
  ギャフンと言わせたいのでしょうけどね。


  そうしたい気持ちはわかります。
  私も同じようなことを、よく考えますから。


  でも、それをやっても
  何の解決にもならないのです。



  そういう意味では、無視するという対応は、
  現実的
だと言えるでしょう。


  いろいろな人がいるのですから、
  ひどいことを言う人もいるのだと考え、
  あきらめる方法です。


  でも、悔しさは残ります。


  なぜ自分が、自分だけが
  傷つけられなくてはならないのか?


  そう思うと、
  耐えられなくなるかもしれませんね。



  「すみませんと言いましたよ」と言った場合、
  おそらく相談者が予想したように、
  「聞こえないなら言わないのと同じよ」と、
  逆襲されるでしょう。


  結局どう言ったところで、
  相手は相談者を非難しようとしているのですから、
  それを止めることはできません。


  相手を否定すれば自分も否定されるだけです。



  目的は本を手に取ることだからと
  言い合いを避けても、心の中で整理できなければ、
  いつまでも引きずることになってしまいます。


  それでは、平安な心を
  手に入れることができないでしょう。



  やってしまったことは、
  もうどうしようもありません。


  それに、とっさに感情的になってしまうことも、
  仕方ないことだと思います。


  できるのは、今、その問題を
  どう整理するかということです。




  もし相談者が、絶対的な善悪などない
  という考え方を受け入れたら、
  見方が大きく変わるでしょうね。


  自分に正義があったとしても、
  それは自分の価値観によるものです。


  相手には相手の価値観があり、
  相手の正義があるのです。



  それなのに、
  どっちに正義があるかと争うから、
  今回のような問題になるのです。



  同じ場所で長時間立ち読みするのは悪いことだ。


  相談者はそう考えたから、
  「すみません」とはっきりと
  言えなかったのではないでしょうか?


  だって悔しいじゃないですか。
  相手が悪いのに、
  こちらが「すみません」だなんて。


  でも相手には相手の都合と、
  正義があるのですよ。


  そう考えられれば、もっとはっきりと
  「すみません」と言えたのではないでしょうか?



  また、
  「すみませんと言えよ」と相手が怒ったのは、
  相手が傷ついたから
です。


  「お願いだから私をもっと人間として、
   価値ある存在として扱ってほしい。
   そうでないと私は、
   不安でたまらないのだから。」


  そう感じているから、怒りが湧いてきたのです。


  かわいそうじゃありませんか?



  それがわかったら、
  同じ目で自分自身を見るのです。


  どうして腹が立ったのでしょう?


  相談者も同じように、
  傷ついたからではありませんか?


  「頭が悪いとかバカとか言わないで!
   もっと私の価値を認めてほしい。
   そうでないと、
   生きていけないと思うほど辛いのよ。」


  そう感じたから、
  悔しくてたまらなかったのでしょう。



  許しませんか?相手も自分も。


  それでも素晴らしい価値があると
  認めませんか?自分にも相手にも。



  そうすれば、
  相手をギャフンと言わせなくても、
  相談者自身が幸せになれるのです。

ラベル:人生相談
posted by ジャンメダイ at 19:19| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月11日

考え方の習慣を変えるチャンス

 ■初対面で説教 納得いかない   読売新聞・人生案内より


  今日は、人生相談からです。


  相談者は、20代の女子学生。

  小さなことだが、
  ずっと気になっていることについての相談です。



  半年前、母校で部活関係の大会があり、
  手伝いを依頼されたそうです。


  そこで全く面識のない先生の下で
  作業をすることになったとか。


  そのとき、その初対面の先生に挨拶すると、
  いきなり愛想がないと指摘されたそうです。


  大会終了後も、掃除や後片付けをしていると、
  他校の人の前で掃除をするのは失礼だと指摘され、
  社会人としての自覚を持てと説教されたとか。


  相談者は、人付き合いが苦手で、
  愛想がない方かもしれないと言います。


  でも、初対面の先生から
  社会人の礼儀を指摘されたことに、
  どうしても納得できないのだとか。


  今もことあるごとに思い出し、
  心が乱れるようです。


  どうすれば良いか、という相談です。



  回答者の増田明美さんは、
  相談者が心外に思う気持ちに共感します。


  尊敬する恩師からならいざ知らず、
  初対面の先生からいきなり説教されるなんてと。


  教師の中には、
  教え子に対しては永遠に先生というタイプもいて、
  そんな先生だったのかもしれないと言います。


  ただ相談者は、
  すでに卒業していて教え子でもなく、
  協力しているだけなので、
  むしろ感謝の気持ちを持って
  接するべきだと指摘します。


  気になったことがあるなら
  やんわりと注意すれば良いだけなので、
  その先生こそ社会人としての礼儀を失していると。


  でもお陰で、
  自分を反省する時間も持てたと言います。


  だから無駄ではなかったのだと。


  社会に出れば様々な人がいて、
  そんな人間関係の中で生きることを考えれば、
  むしろ良い勉強になったのではないか
  と言うのです。


  思いコートを脱いで、薫風の季節を
  爽やかに迎えるようアドバイスします。



  まさに、増田さんの回答の通りだと思います。


  たしかにその先生は失礼だったかもしれないけど、
  それにこだわっていてもしょうがないのです。


  だから、お陰さまで勉強になったと考え方を変え、
  忘れてしまうことが一番です。




  とは言え、それができないから苦労しているのだ
  とも言えるでしょう。


  なので、私からも他の切り口でアドバイスします。



  相談者は、先生の心ない言葉に傷ついた
  と思っています。


  だから何度も何度も思い出し、
  悪いのは先生の方だと思っているのです。


  でも、いくら悪いのは先生の方だと思ってみても、
  悔しさが晴れません。


  仕返ししてやりたいけど、
  そんなことをしても何の得にもならないし。


  そんな考えが頭の中で繰り返されて、
  苦しくなってしまうのでしょう。



  傷ついたのは、
  相談者の考え方が間違っているからです。



  先生が傷つけたのではありません。


  それを理解することが、解決につながります。



  先生から指摘されたことは正論だと思いながら、
  それが最初からできなかった自分を
  擁護したくてたまらない。


  なぜなら、
  非難されるような自分は価値がない存在で、
  そんなことは受け入れたくないから。


  そんな受け入れたくないことを
  受け入れろと強制された気になったので、
  傷ついたのです。



  怒りは、心のSOS信号です。


  「お願いだから、私を非難しないで!
   私にも事情があったのだと認めてほしい。」


  そう懇願しているのですが、
  それが怒りとなって表現されているのです。



  他人からいくら非難されても、
  それを受け入れなければ良いのですよ。



  たしかに愛想も良くないし、
  不手際もあっただろう。


  でもそれが今の自分なのだから、
  そのときはそのときで最善を尽くしたのだ。


  そう、自分自身を認めてあげることです。


  その先生に受け入れてもらう必要性など
  まったくないのです。


  人それぞれ、価値観は違うのですから。


  自分で自分を受け入れてあげれば、
  他人からどう評価されようと、
  気にはならないはず。



  それが気になって仕方ないのは、
  自分がまだ自分を受け入れていないからです。


  だから自分を受け入れるように、
  何度も何度も自分に言い聞かせることが大切です。




  何度も何度も思い出しているということですが、
  それには意味があります。


  繰り返すことによって、
  考え方の習慣を変えることができるからです。



  その先生によって、あなたは
  そういうことを考えるチャンスをもらいました。


  だからそのチャンスを生かしましょう。


  望まなくても、
  何度も何度も思い出してしまうのでしょう?


  だったら何度も何度も考え直したら良いのです。



  そうすることで、
  考え方の習慣を変えることができます。


  自分を受け入れられるようになったら、
  その先生のお陰だったと
  心から思えるのではないでしょうか。

posted by ジャンメダイ at 13:08| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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