理想の自分と出合う。自分探しの方法が、ここにあります。

「自己変革3つのステップ」

2012年04月30日

うつ病者の使命

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  最近は、単にうつ病患者が増えているだけでなく、
  「現代型うつ」とか「新型うつ」と呼ばれる、
  新しいタイプのうつ病が増えているそうです。


  従来型のうつ病は、気持ちが塞いで
  閉じこもりがちになりました。


  それが新型では、
  学校や会社などへは行けないものの、
  友達と会ったり旅行やレジャーに出かけることは
  可能なのだそうです。


  ますますズル休みとの区別が
  つかない症状のようですね。



  そんなうつ病の要因として、
  子どもの頃の「いい子」が挙げられていました。


  これは、心理学に詳しい人なら、
  誰でもご存知でしょう。


  「いい子」ほど危ないのです。



  手のかからない、いわゆる「いい子」は、
  親や先生などから喜ばれます。


  言うことを何でもよく聞きますから。


  勉強もするので、
  成績もそんなに悪くはありません。



  ではなぜ、そんな「いい子」が
  危ないのでしょうか?



  それは、自己肯定感が足りないからです。


  自己肯定感が足りないため、
  他人からの承認を必要とします。


  だから他人の顔色をうかがい、
  期待に応えるように努力します。


  それは、生き延びるための必死の努力です。


  それだけ頑張って、頑張って、
  生きているのです。



  でも、そんなテンパった状態は、
  そう長くは続けられません。


  ちょっとしたきっかけで、
  バーンアウト(燃え尽き)してしまいます。


  それがうつ病とか、
  自殺、犯罪などで現れるのです。




  バーンアウトのきっかけは、
  多くは自分が否定される出来事です。


  「これだけ頑張っているのに
   誰も認めてはくれない。」


  そのことに無性に腹が立ち、
  認めない人を許せなくなります。


  そうなると、普通に言われたことでさえ、
  自分を否定していると感じるようになるのです。



  いわゆる「ひきこもり」も、
  同じ構造と考えて良いでしょう。


  「登校拒否」や「5月病」も同じです。


  すべて自己肯定感が足りないため、
  他人からの肯定を欲する気持ちが強く、
  そのために自分を見失っているのです。



  自分らしい生き方を捨て、
  他人の要求にしたがって生きているのです。


  自分の人生の手綱を、
  他人に渡してしまったのです。


  そんな人生が楽しいはずはありません。



  ではどうして、
  そんなに自己肯定感が足りないのでしょうか?


  子どもの為を思って、
  失敗することを未然に防ごうとした親の努力が、
  子どもの自己肯定感を奪っている。


  そんな原因が紹介されていました。



  子どもが失敗して、
  痛い目に合うのはかわいそうだ。


  親はそれを、子に対する愛情だと信じています。


  そこに悲劇が生まれる原因があります。



  子どもは、
  何が良くて何が悪いかがわからないので、
  何でも試してみようとします。


  しかし親は先を見通せる(と思っている)ため、
  「それはダメ」と言って、
  子どもがやろうとした矢先に制止します。


  それはつまり、
  子どもの自主性を奪っているのです。




  子どもが言うことを聞かないと、
  親は怒ったりもします。


  怒るというのは、
  恐怖心によって相手を動かそうという行為です。


  子どもは怖れて、
  それをやらないようになるかもしれません。


  本当はやってみたかったけど、
  でも、親に怒られるから怖くてやめた。


  つまり、自分がやってみたかったことを否定され、
  脅されて従わされたのです。


  そんなことを繰り返していたら、
  自己肯定感など育たないでしょう。



  「やっぱり親の育て方が悪いんだ。」


  そうやって、
  悪者探しをしたくなる気持ちはわかりますが、
  それでは問題は解決しません。


  親がそんなにも子どもを心配したのは、
  依存によるものだからです。


  親もまた自己肯定感が少なく、
  そのために子どもに執着してしまったのです。



  自己肯定感の減少という体質は、
  まるで遺伝のように親から子へと連鎖します。



  この連鎖をどこかで断たなければ、
  この問題は解決しません。


  では、どこで断つのか?


  それは自分です。


  誰かがやらなければならないなら、
  それは自分がやらなければならないのです。




  うつ病になる人は、社会のお荷物でもないし、
  ダメな人間でもありません。


  むしろその逆で、
  彼らこそがこの問題に終止符を打ち、
  この閉塞した社会を救ってくれるヒーローです。




  彼らはとても繊細な心を持ち、
  愛情に対する強い欲求を持っています。


  だから、そのエネルギーが役立ちます。


  方向性さえわかれば、そのエネルギーによって、
  必ず自分の道を切り開くでしょう。


  彼らは、素晴らしい存在です。


  少なくとも私は、そう信じています。

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2012年04月26日

ハチャメチャに生きよう

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  私が子どもの頃は、
  日本は高度経済成長期のまっただ中でした。


  良い会社に就職し、
  サラリーマンとして定年まで勤めあげるのが、
  もっとも素晴らしい生き方と教えられました。


  その後はバブル経済となり、
  転職によって自分を高く売ることが、
  豊かになる生き方だとされました。


  しかし、バブルがはじけた後の日本は、
  20年ものデフレ経済が続いています。


  就職氷河期となり、また今度は違う意味で、
  良い会社に就職して定年まで働くことを
  希望する人が増えたとか。


  良い会社に就職できたら「勝ち組」となり、
  そうでなければ「負け組」となる。


  そんな価値観が蔓延しているような気がします。


  でも、本当にそうでしょうか?



  ここ数十年を振り返ってみても、
  そんな価値観は絶対的なものでないことが
  わかります。


  それなのに、
  他の誰かが考えだしたような価値観にしたがって、
  つまらない人生を送りたいのでしょうか?



  これからの時代、
  特に「負け組」の人はチャンスです。



  「勝ち組」の人は守るものができてしまったので、
  自己変革が困難です。


  しかし「負け組」の人は、
  もう何も守るものがありません。


  だから有利なのです。



  「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」


  この格言は、私が大好きなものの1つです。


  戦後に日本が急成長できたのは、
  戦争によってそれまでの価値観を
  捨てさせられたからです。


  無理やりに、仕方なく捨てさせられたのですが、
  それが良かった。



  失うものが何もないと感じると、
  人は自由になります。


  自由になると、
  思い切った発想や行動ができるようになります。


  そういう人が世の中を変えるのです。




  自由になった人は、何を求めると思いますか?


  それは、楽しいことや面白いことです。


  つらいことやつまらないことは、
  敢えてやりたいとは思いません。


  だから世の中が楽しく、
  面白くなっていくのです。



  すべてを捨ててかかれば、
  何も心配することはありません。


  人間は意外と、
  しぶとく生きていけるものです。



  こうなったら、
  他の人と異なる道を生きましょう。


  他の人と同じ道の中には、
  想像できる以上に楽しく面白いことなど
  ありませんよ。


  だから、今までの自分なら
  絶対にやらないようなことを、
  敢えてやってみるのです。


  それが楽しかったら、究めてみましょう。


  楽しくなかったら、他の道を探しましょう。



  ハチャメチャに生きたらいい。


  なあに、世の中には
  たくさんの人がいるのですから、
  自分一人がハチャメチャでも、
  困ることはないでしょう。


  規定の生き方は、
  「勝ち組」の人に任せておけば良いのです。


  「負け組」の人には、
  「負け組」にしかできない生き方があります。


  それは、神から指名されたと考えた方がよい。


  いや事実、あなたは神に指名されたのですよ。


  素晴らしい。だからあなたは素晴らしい。


  世の中を変えるのは、あなたの使命だ。


posted by ジャンメダイ at 16:28| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月24日

バトルシップ(ネタバレ)

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  先日、映画のバトルシップを見ました。


  前評判の通り、とても素晴らしい映画でしたね。


  と言っても、私はタイに住んでいますから、
  タイ語字幕の英語版になります。


  英語がほとんどダメな私にとっては、
  セリフはほとんどわかりません。


  日本人も登場していたので、
  日本語の部分だけはわかりましたけどね。



  そんな映画でしたが、それでも涙を流すほど
  感動してしまいました。


  その内容を、これからお話ししますが、
  一部ネタバレになりますので、ご注意ください。



  圧倒的な力で攻撃してくるエイリアンに対し、
  まだ未熟な青年将校がキャプテンとして
  立ち向かうことになります。


  その主人公は、最初は「自分にはできない」と
  尻込みをします。


  それに対して船の機関長(?)は、
  「あなたができないなら、誰にできるのか?」
  と言って奮起を促します。


  やっと立ち上がった主人公は、
  次々とエイリアンの船を撃破しますが、
  ついには自分の船をやられてしまいます。


  「我々には、もう戦う船がない。」


  そう、みなが意気消沈した時、彼は言います。


  「いや、まだ残っている。」


  そう言って彼は、
  長く使われていなかった古い艦船を示すのです。



  こんな古い船を、どうやって動かすの?


  仮に動かせても、
  時代遅れの兵器では勝てるわけがない。


  結果を意識すればするほど、
  そういう怖れ(不安)が心に広がるでしょう。


  でも、その怖れに打ち勝つことで、
  道は開かれるのです。



  あきらめ顔の兵士たちの前に、
  もう役立たずと思われていた退役軍人たちが
  次々と現れました。


  「古い船のことなら、俺たちに任せろ。
   俺たちも一緒に戦う。」



  結果にこだわることは、
  悪いことではありません。


  でも、結果を怖れて動けないとしたら、
  それは本末転倒です。


  できるかどうかが重要なのではない。
  やるかどうかが重要なのだ。




  あなたがやろうとしていることは、
  あなたにとってやるべきことでしょうか?


  もしその答が「イエス」なら、
  怖れることなく前に進みなさい。


  結果はコントロールできないのだから、
  思い通りになるかどうかに
  こだわってはいけない。


  それよりも、どんな結果になろうとも、
  それを自分の責任として受け入れると
  覚悟を決めることです。



  自分の責任なら、仮に失敗しても、
  修正してやり直すことができます。


  でも、もし結果を怖れてやらなかったら、
  あなたには再挑戦するチャンスもなくなります。


  受験でも、就職でも、告白でも、
  何でもそうです。


  できるかどうかが重要なのではなく、
  やるかどうかが重要なのです。


  「あなたがやらないとしたら、
   いったい誰がそれをやるのか?」


  勇気を出して、一歩を踏み出しましょう。


ラベル:考え方 映画
posted by ジャンメダイ at 19:19| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月10日

それでも我々の思考が現実を創っている

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  2012年に世界が崩壊するというマヤの預言が、
  仮に当たったとしても安心していられる。


  その説明を、3回のシリーズで書くと言いました。


  今回は、最後の3回目になります。



  前回、この世は相対的にできていて、
  それは比較するためだ
と書きました。


  そして比較するのは、
  自分自身を体験的に知るためだと。


  私たちはみな、自分らしさを体験することで、
  喜びを感じたい魂だから
です。


  だから私たちは、自分の思いで現実を創りだし、
  体験しようとしている
のだと。



  でも現実のこの世は、平和とは言えません。


  素晴らしい世の中とも言えません。


  どうしてそうなっているのでしょうか?


  それは不安によって、
  自分らしさから遠ざかっているからです。




  たとえばあなたは、何もないのに人を殺しますか?


  もしあなたが、十分なお金があるとしたら、
  それでも他人から奪いますか?


  答は明らかですよね。


  本質的なあなたは素晴らしい存在です。


  だから殺したいなどと思わないでしょう。
  奪いたいとも思わないはずです。


  それなのに現実には、時に殺したくなり、
  時に奪いたくなります。


  それは心の不安が考え方を刺激するからです。



  「あいつが俺をバカにしたんだ。」


  そう言って相手を殺すとき、
  本当のあなたの言葉は違います。


  「どうして私を認めてくれないの?
   ねえ、お願いだから愛してよ。」


  あなたは愛されないことが不安だから、
  その状況を認めたくなかったのです。


  あなたが他人からお金を奪うとき、
  様々な理由をつけるかもしれません。


  でも、本当の気持は違います。


  「私にはお金が必要だけど、お金がない。
   だから奪ってでも手に入れないといけない。」


  あなたは必要性を満たせない不安から、
  何としても逃れたかったのです。



  人それぞれ、その行動や考え方には
  理由があります。


  正当な根拠があるのです。


  だからそれを認めない限り、
  ものごとは変わりません。



  この世が平和でないのは、
  私たちがそれを望んだからです。


  この世に犯罪がはびこるのは、
  私たちがそれを望んだからです。


  あなたは、自分の必要性を捨てられますか?


  心の不安を払拭できていますか?


  もしそれができていないのなら、
  それがこの世に戦争や犯罪を
  もたらしています。



  ただ私は、
  それを悪いことだとは思いません。


  私たちは単に、ゲームをしているだけです。


  「こうしたらどうなるだろう?」


  そうやって現実を創り出して遊ぶ
  体験ゲームをしているのです。


  「もうそろそろ、
   同じことをするのも飽きたなあ。」


  そのとき、私たちは考え方を変えるのです。


  そしてそれによって、現実は創り直されます。



  何度でも、好きなだけ
  ゲームを楽しんで良いのですよ。


  いつか飽きる時がきます。


  そのときが、あなたの変わる時です。


  なあに大丈夫。
  私たちは永続する「ひとつのもの」です。


  死ぬことは不可能です。


  何度でも形を変えながら、
  体験ゲームを楽しんでいるのです。

ラベル:考え方 預言
posted by ジャンメダイ at 19:00| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月05日

体験して喜びを感じたい魂

 ■自己変革3つのステップ   オフィシャルWEBサイトより


  今日は、私の考え方についてお話ししましょう。



  前回、2012年は世界が崩壊するという
  マヤの預言について書きました。


  私の考えは、
  この世界は崩壊するかもしれないけれど、
  また別の形に変化して世界は続くから、
  仮に崩壊しても、大した問題ではない
  ということです。


  なぜ私が安心していられるのかを、
  3回のシリーズで書くと言いました。


  今回は、その2回目になります。



  前回、この世の本質は、
  永続する「ひとつのもの」だ
ということを、
  仏教など宗教の教義や、科学の理論から
  説明しました。


  今回は逆に、この世の存在から、
  それが正しいことを説明しましょう。



  この世はすべて、相対的なものでできています。


  古くは陰と陽で説明されていますが、
  上と下、右と左、古いと新しい、広いと狭い、
  速いと遅い、長いと短い、高いと低い、
  重いと軽い、難しいと優しい、などです。


  すべて基準となる位置を変えることによって、
  どちらになるかが変わります。


  たとえば今、私の右に筆箱があります。


  この筆箱は右にあると言います。


  でも私が移動して、その筆箱よりも右に立つと、
  今度は筆箱は私の左にあります。


  筆箱は、右から左に変わりました。


  筆箱の何かが変わったのではなく、
  基準となる私の位置が変わったのです。



  また女と男も陰と陽で表されます。


  女の中にも男っぽい者がいて、
  これも相対的と言えます。


  「これは性別だから、
   Y染色体の有無で明確に分けられる。」


  そう言われるかもしれませんが、
  そう単純には行きません。


  それは、Y染色体を持つ者を男と定める
  という基準があるから言えることだからです。


  では、男性用トイレを使用するのは、
  Y染色体を持っている人だけですか?


  見た目が女性という人もいますよ。


  性同一性障害は、どう理解しますか?


  このように、
  絶対的に判断できると思っているものでさえ、
  その多くは単なる決め事に過ぎないのです。



  この世が、このように相対的なのは、
  理由があります。


  それは、比較するためです。



  比較するには対象が必要ですから。


  比較する必要がなければ、
  相対的である必要性はありません。



  では何のために比較するのでしょうか?


  それは、自分自身を体験的に知るためです。



  たとえばあなたは背が高いですか?


  どうして背が高いとわかりますか?


  おそらく、同年代の平均身長を知っているとか、
  身近な人々と比べたからでしょう。


  もし仮にあなたが、背の高い人の集団にいたら、
  自分のことを背が高いと思うでしょうか?


  逆に自分は背が低いと感じるでしょうね。


  これが、体験的に自分を知るということです。



  私たちはみな、素晴らしい存在であるはずです。


  だって私たちの本質は、
  永続する「ひとつのもの」であり、
  比較できない絶対的なものですから。


  しかし、観念的に素晴らしいと知っていても、
  どれほど素晴らしいかがわかりません。


  それはまるで、日中の明るい日差しの中に置かれた
  強力なライトのようなもの。


  どれほど明るくても、周りが同じように明るいため、
  自分の明るさがどれほどのものかわからないのです。


  体験的に明るさを知るには、暗闇が必要です。



  つまり私たちは、
  自分の素晴らしさを体験するために、
  この世を創って生まれてきたのです。



  だからこの世は相対的なのです。



  私たちの思いが現実化するという
  引き寄せの理論や、原因と結果の法則も、
  ある意味で当然と言えます。


  だって私たちは、私たちの思い通りの体験を
  したくて生まれたのです。


  思い通りにならなければ、
  意味がないではありませんか?



  私たちには、
  どんな風にでも考えられる自由があります。


  そしてその考え方によって、
  現実を創り続けています。


  それはすべて、私たちが体験したいからです。


  私たちはみな、自分らしさを体験することで、
  喜びを感じたい魂なのです。




  しかし、現実の世は平和とはほど遠いし、
  犯罪の被害にあったり、
  事故に合うこともあります。


  それらは、私たちが望んだわけでもないのに、
  勝手に起こっているように見えます。


  それでも私たちが現実を
  創っていると言えるのでしょうか?


  そのことは、また次回に書きますね。

posted by ジャンメダイ at 19:00| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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