理想の自分と出合う。自分探しの方法が、ここにあります。

「自己変革3つのステップ」

2012年03月30日

あなたしかいない

 ■友人と比べ劣っている自分   読売新聞・人生案内より


  今日は、人生相談からです。


  相談者は、20代の男子大学生。

  今後の自分の生き方についての相談です。



  元々は高校卒業後に
  就職する予定だったそうです。


  しかし就職事情が芳しくなく、
  両親と相談の上で進学を決めたのだとか。


  入学当初は友人もできたものの、
  だんだんと疎遠になったそうです。


  彼らは優秀で、教授からべた褒めされるほど。


  将来の仕事のことなどを
  楽しそうに語る彼らを見ていると、
  見下されている気になったのだとか。


  家では両親が、テレビを見ては
  インテリ芸能人を褒めそやしたり、
  教員に採用された親戚の子を
  自慢げに話したりするそうです。


  それを、迷惑に感じると言います。


  今年は就職の年なのだが、
  自分のあるべき生き方について
  アドバイスがほしいという相談です。



  回答者の山田昌弘さんは、
  他人と比べて羨ましく思ったり、
  劣等感を感じる時期が誰にもあると言います。


  それを克服しながら自分の価値観を持つことが、
  若い人の課題なのだと。


  相談者は友達と比べて劣っていると言うものの、
  同じ学生という点で違いはないと言います。


  だからもっと胸を張って良いのだと。


  誰でも得意不得意はあるし、
  教授の評価が異なることも当然だと言います。


  そいうときは、そこに何か得るものはないかと
  考えることを勧めます。


  そうすれば、自分のやりたいことが
  見つかるかもしれないからと。


  両親も、息子に
  自立してもらいたくて言っているのであって、
  非難しているのではないと言います。


  どうせ同じ時間を過ごすなら、
  期待に応えられなかった過去を思って悩むより、
  自分の将来を考えた方が良いと説明します。


  世の中にどんな仕事があるのか、
  何が自分に適しているのかを探すことだと。


  進むべき道を見つけた時、
  自分を評価できる人間になっているはずだから、
  頑張るようにとアドバイスします。



  考え方を変えなさいというアドバイスですから、
  私もその通りだと思います。


  ただ、だから頑張れと言われても、
  何をどう頑張るのかが
  わからないのではないでしょうか。



  相談者は友人と比較することで、
  自ら劣等感を感じました。


  そして、彼らから遠ざかったのです。


  教授や両親も、自分と他者を比較して、
  自分が劣っているかのような態度を取るので、
  鬱陶(うっとう)しく感じているのでしょう。



  私は、相談者に言いたい。


  あなたは、自分で目を閉じ、
  耳を塞いでいるだけではないか?


  どうしてその目で見ない?
  どうしてその耳で聞こうとしない?




  優秀な友人とばかり比較するが、この世界に、
  大学に行くことができない若者が、
  いったいどれほどいると思っているのか?


  何千万人、何億人という人が、
  そもそも高等教育を受けられずにいます。


  そのことをあなたは知っているはずだ。
  なぜ彼らと自分を比べないのですか?



  自分が劣っていると言って鬱鬱としているのが、
  そんなに気分が良いのですか?


  どんなに頑張っても、
  中学校さえ行かせてもらえない子どもが
  たくさんいるのですよ。


  全世界で考えたら、
  確実に上位10%に入っているあなたが、
  どう生きて良いかわからないですって?


  ふざけるな!と言いたい。


  その言葉を、勉強さえさせてもらえない
  子どもたちの前で言ってみるがいい。


  何を甘えたことを言っているのか?



  あなたは、そういう子どもたちが
  いることを知っているのに、
  実際は見ようとも聞こうともしない。


  そうすることで、
  あなたの心の中で彼らを抹殺しているのです。


  生き方がわからないなら、
  彼らの声を聞くがいい。


  実際に足を運び、彼らの中で生活し、
  彼らの瞳の輝きを見るがいい。




  彼らには、やりたくても
  できないことがたくさんある。


  でもあなたには、それがいとも簡単にできる。


  そんな自分を、
  劣った無力な人間だと言うのですか?


  バカにするんじゃない!


  あなたは、そんな劣った存在じゃない。


  あなたは、あなたが思う以上に、
  何十倍も何百倍も素晴らしい存在なのです。




  あなたには、やれることがたくさんある。


  幸いにしてあなたは、教授からも両親からも
  期待されていないようですね。


  それは好都合というものです。


  そんなあなただから、できることがあるのですよ。


  いえ、あなたにしかできないことです。



  成績優秀な人は、周りの人の期待に
  応える生き方をせざるを得ないでしょう。


  良いと言われる企業に就職し、
  その中で個性を埋没させて生きるのです。


  でもあなたは、他の生き方ができる。


  こんな幸いなことがあるでしょうか?



  たとえば、今にも潰れそうな会社に、
  給料は半分でいいからと言って、
  1年限定で働かせてもらうことだってできる。


  もしその会社の業績を
  立て直せたらどうなりますか?


  そんなの無理ですって?
  できなくても良いではありませんか。


  チャレンジするのはタダです。


  そうやって実力を積む生き方ができるのですよ。



  今朝、あなたは鳥の声を聞かなかったのですか?


  「期待しているよ。がんばって。」
  そう言って鳴いていたでしょう。


  あなたのほほをなでた風が、
  優しかったことに気づかなかったのですか?


  「もう少しだよ。あなたならやれる。
   応援しているから。」
  そう言って優しくなでたでしょう。



  あなたは自分で自分の目を閉じ、
  耳を塞いでいるだけです。


  お願いだから目を開いて、よく見てほしい。


  そして真実を聞いてほしい。


  この世には、あなたしかできない生き方がある。


  その一歩を踏み出すことを、
  今や遅しと固唾を飲んで待っている
  たくさんの生命がある。



  あなたは、その期待に応えなくていいのですか?


  そうしないことが、あなたの望む生き方ですか?


  あなたがやらなければ、
  いったい誰がやるのですか?



  決めるのは、あなた自身です。

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2012年03月27日

普通の人?特別な人?

 ■お金にシビア 両親疎ましく   読売新聞・人生案内より


  今日は、人生相談からです。


  相談者は、40代の主婦。

  お金に細かい両親についての相談です。



  不景気でご主人のボーナスがなかった時期、
  義母から家のローン代を出してもらったそうです。


  しかし相談者の両親はお金を貸してくれただけ。


  その後、相談者も働いて
  家のローンを完済したころ、
  父親から車を買い換えるからと
  返済を要求されたとか。


  貸した金の返済を要求するのは正論だから、
  もめるのも嫌なので返済したそうです。


  親戚付き合いでお金が必要なときは
  自分から言ってくるのに、
  用事がなければ連絡はまったくないとのこと。


  ご主人や子どもの問題で相談した時も、
  母親からは自分で乗り越えろと突き放されたとか。


  娘さんの運動会にも来たのはたったの一度。


  飛行機に乗ってまで
  駆けつける家族があることを思うと、
  やるせないようです。


  そういうことで5年間まったく帰省していないし、
  今後も親に連絡したくないとか。


  財産も要らないから
  縁を切っても良いと思うほど。


  この親子関係をどうすれば良いのか、
  自分が常に折れるべきなのか、という相談です。



  回答者の出久根達郎さんは、
  両親と金銭感覚が違っていることが
  不満の原因となっているのだろうと推測します。


  その不服が尾を引いて、
  両親の言うことすべてが嫌になったのだろうと。


  ただ、相談者の両親は普通だと言います。


  飛行機で孫の学校行事に
  駆けつけるような人は特別だから、
  そういう特別な人と比較してはいけないと。


  相談者を甘やかさない態度も、
  むしろ立派だと言います。


  そして結果的に
  相談者の家族はうまくやっているので、
  これも両親のお陰と
  考え方を変えることを勧めます。


  恨みからは何も生まれないからと
  アドバイスします。



  回答者の言うことは、もっともだと思います。


  おそらく相談者は、
  他にもいろいろなことがあって、
  両親を毛嫌いしているのでしょう。


  お金をくれなかったことが
  そもそもの原因ではなく、
  おそらく他にいろいろあったと思います。


  そのため今となっては、
  両親のやることなすことすべてが
  気に入らないと感じてしまうのでしょうね。



  回答者が言うように、
  見方を変えることが解決方法になります。



  でも、おそらくそれは難しいでしょう。


  怒りの感情が抵抗するからです。


  この怒りの感情をなだめるためには、
  「どっちが正しいか?」という
  不毛な考え方を捨てることが重要です。


  その考え方を持ち続ける限り、
  相手が正しければ自分が悪いことになり、
  相手を認められなくなります。


  相手も正しいし、自分も正しいという、
  「どちらも正しい」という考え方を
  受け入れることです。




  その観点からすると、回答者の言う
  「特別な人と比べてはいけない」というのは、
  おかしな論理です。


  それは裏を返せば、
  「普通の人となら比べて良い」ということ。


  つまり「普通の人は正しい」という考えに
  基づいているからです。



  「普通の人」というのも人それぞれですから、
  本当は基準にならないはずです。


  そこに敢えて
  「普通の人」という基準を作ろうとすれば、
  それは自ずと
  「私が考える普通の人」になってしまいます。


  それでは「私の考え」と「相手の考え」が
  対立し続けることになります。



  比較することが間違っているのではありません。


  比較することで、
  相手が悪いという根拠にすることが
  間違っているのです。



  違いは単に違いに過ぎません。


  それをどう考えるかは、自分が決めることです。


  楽しく、幸せに過ごしたいなら、
  そう感じるような考え方を
  選択するだけのことです。


  まずは、「どちらが正しいか?」と
  「どちらも正しい」という
  2つの見方があることを、
  頭で理解することから始めましょう。



  そうすれば徐々に、
  冷静に考えられるようになります。



  いつか両親のことを、
  心からありがたいなあと思える日が
  来るよう願っています。


  なぜなら、それが
  あなたが幸せになった印ですから。

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2012年03月23日

非協力な夫と離婚していいですか?

 ■非協力的な夫にうんざり   読売新聞・人生案内より


  今日は、人生相談からです。


  相談者は、40代前半の主婦。

  非協力な夫についての相談です。



  結婚して、ご主人の両親と同居して20年、
  2人の息子さんがいるそうです。


  義父母は過干渉で無神経。


  相談者が何を言っても聞き入れず、
  ずっと我慢してきたとか。


  ご主人は両親任せで親の言いなり。


  義父母のことで相談しても、
  「俺の親の悪口を言うな」と怒鳴るのだそうです。


  暴力は振るわないものの、
  相談者の味方をしてくれたことは一度もないとか。


  子育てに対しても、ご主人は非協力的なようです。


  次男が警察に呼ばれたときも、
  仕事が忙しいからと協力しないばかりか、
  趣味のゴルフには出かける始末。


  愚痴を聞いてくれる友だちがいるので
  頑張ってこれたが、
  次男が高校を卒業したら離婚したいとのこと。


  ただ遠いことや両親に迷惑を掛けたくないので、
  実家へ戻るつもりはないとのこと。


  どうすれば良いか、という相談です。



  回答者の山田昌弘さんは、
  息子さんのことを一人で対処されて
  大変だったろうと同情します。


  こんな夫は父親の資格がないからと、
  すぐにでも離婚したいという気持ちは
  理解できると言います。


  ただ、経済的に
  離婚しても生活できるかどうかを心配します。


  次男が高校を卒業するまで待つのは賢明だと。


  それまではご主人のことを、
  同居している他人と思って過ごすことを勧めます。


  その間に経済的な自立のめどを付け、
  離婚準備をするようにと。


  調停になることも考えて、
  ご主人が子育てで非協力的だった事例などを
  書き留めておくことを勧めます。


  その上で、まだ人生の半分もあるのだからと
  励まします。


  お子さんや友だちとの良好な関係を保ちながら、
  新しい人生に踏み出すのも良いと
  アドバイスします。



  すでに離婚を決めているようなので、
  こういうアドバイスもありかと思います。


  離婚するとすれば、
  重要なのは経済的に自立できるかどうかです。


  実家に頼りたくないと言うのであれば、
  パートでも何でも、
  働き始めることが大切でしょう。



  ただ、私には相談者の言い分のみを
  鵜呑みにしている気もします。


  本当にご主人は非協力的で、
  義父母はひどい人たちなのでしょうか?


  そして相談者は、
  それに耐えてきた「おしん」のような
  かわいそうな人なのでしょうか?



  よく言われるように、
  どちらかが100%正しくて、
  もう一方が100%悪いなどということは、
  まずありません。


  どちらにも、その人の論理に従えば
  正しくなる理由があるものです。



  ご主人から言わせれば、たしかに
  子育てには非協力だったかもしれないが、
  その分、稼いできたではないか
  という言い分があるかもしれません。


  そんなの当然じゃないかと
  思われるかもしれませんが、
  相談者は稼いでいないのです。


  外で働いていないのだから、
  うちのことはすべてやってほしいと
  考えてはいけないのでしょうか?


  一人で問題を受け止められなくて
  協力を依頼したということですが、
  ご主人からすれば「甘えるな」という
  気持ちもあったかもしれません。


  自分は甘えずに外で戦っているのだから、
  妻もそれくらいのことはやってくれと。



  このように、どちらが正しいとは
  一概に言えないと思うのです。


  それは仮に、
  両者の言い分を聞いても同じことです。


  客観的にどちらが正しいなどということは
  決められません。


  法律に照らし合わせてという
  基準でもあるなら別ですが。



  それに、片方で離婚することを決意しながら、
  それをご主人に知らせることもなく
  他人のように思いながら過ごすことは、
  人として素晴らしい行為でしょうか?


  そんなことをする自分を、
  誇ることができるでしょうか?



  ご主人がもっと悪いのだから、
  それくらいは許されると
  考えているのでしょうか?


  もしそうだとすれば、
  回答者のアドバイスは
  ひどいと言わざるをえません。



  相談者が幸せになれないのは、
  ご主人や義父母のせいではありません。


  もしその論理が正しいとするなら、
  相談者には自分で自分の幸不幸を決める力が
  ないと宣言していることになります。


  そうだとすれば、環境を変えたとしても、
  その考え方に基づいて、
  様々な出来事が起こるでしょう。


  つまり相談者は一生、周りに左右され、
  翻弄されながら生きる他ないのです。


  そんな人生が望みですか?



  ただ私は、
  一時的に今の状況から逃げ出すということに、
  必ずしも反対ではありません。


  それは本質的な解決ではないけれど、
  今は耐えられないから逃げる
  というのもありだと思うのです。


  でもどうか、それで終わらないでほしい。


  本当に幸せになりたいなら、
  他人や環境のせいにすることをやめ、
  自分にそれを決める力があると知ることです。


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2012年03月20日

これは非常識ですか?

 ■友人連れ 被災地に来る義父   読売新聞・人生案内より


  今日は、人生相談からです。


  相談者は、震災被災地に住む40代の女性。

  無遠慮に訪ねてくる義父についての相談です。



  地震や津波の直接的な被害はなかったものの、
  近くでがれきの処理などをしていて、
  まだ落ち着かない生活をしているようです。


  そこに遠方から義父が、
  何度が様子を見に来てくれたそうです。


  ただその際、
  何の断りもなく友人を連れて来るのだとか。


  しかも来て何をするでもなく、
  お茶を飲み、食事をして帰るだけ。


  それが腹立たしくて仕方ないと言います。


  自分の生活の心配で大変なのに、
  義父ばかりか何の関係もない義父の友人の
  世話で時間が取られることに、
  割り切れない気持ちでいるそうです。


  義父が帰った後はご主人に当たり散らし、
  しなくてもよいケンカをするはめに。


  ご主人は気が弱く、義父にはっきりと
  ものを言うのは難しいと言います。


  友人を連れてくるのはやめてほしいことを
  義父に伝えるには、
  どうすればよいかという相談です。



  回答者の樋口恵子さんは、
  自分にも似たような経験があると話します。


  そのときはご主人がはっきりと言ってくれたので、
  一件落着したとか。


  なので気弱なご主人に辛抱強く語りかけ、
  実父にこちらの都合を伝えてもらうことを
  勧めます。


  義父の気持ちを考えると、
  息子が心配だったが
  しっかりと安定した生活をしているので、
  それを友人に自慢したかったのではと言います。


  でも、相談者に友人の接待まで求めるのは
  無理というもの。


  ご主人が言えないのなら、
  相談者が手紙でお願いしてはどうかと言います。


  あるいは家でもてなすのではなく、
  被災地支援ボランティアの場に
  案内するようにとアドバイスします。



  私は回答者が最後に言ったように、
  相談者が直接伝えることを勧めます。


  ご主人が実父に話すのが一番かもしれませんが、
  他人を変えることはできません。


  ご主人が話さなくてもよいつもりで言うのなら、
  ストレスも溜まらないでしょうけど。


  おそらくウジウジして動かないご主人にいらだち、
  夫婦関係まで悪くなりそうです。



  ただその前に、考えてほしいことがあります。


  相談者が義父の訪問を
  腹立たしく感じている原因です。


  おそらく相談者は、
  義父の行為を非常識だと考えているのでしょう。



  「こんなことをするなんて、とんでもない人だ。」


  そう思うから、腹立たしいのです。


  そしてそのことを義父に言うと
  角が立つと思っている。


  機嫌を損ねられたら、自分も気分が悪い。


  義父の方が悪いのに、
  そのためになぜ自分がさらに
  気分を悪くしなければいけないのか?


  そんな風に考えているのではないでしょうか?



  もし仮に、義父の訪問を回答者が言うように
  「ありがたいこと」と思ったらどうでしょう?


  おそらく感じ方が
  まったく変わってくるでしょうね。


  自分の友人まで連れて、
  わざわざ見舞いに来てくれた。


  そう考えることだってできるはずです。



  「非常識」と決めつけるから、
  自分が苦しくなった。


  そのことに気づくチャンスです。



  たとえ「ありがたいこと」と思えないにしても、
  義父には義父の考えがあると
  思ったらどうでしょうか?


  義父には義父の常識があり、
  自分には自分の常識がある。


  どちらも正しく、どちらも間違っていない。


  そう考えるだけでも、楽になると思いますよ。




  そしてそういうように思えれば、
  率直に自分の考えを伝えられるはずです。


  「私はこう考えます。」


  そう言うだけで良いことですから。


  相手と考え方が異なるのは、
  当たり前のことなのです。



  だから自分の考えを表明するだけです。


  「私は友人を連れて来られても
   世話をしたくないから、
   勝手になさってくださいね。」


  それで良いではありませんか。



  そう言うと、
  自分が優しくない人間のように思われて、
  周りから非難されるのが嫌なのでしょうか?


  ここでも常識などないということを、
  自分に言い聞かせることです。



  他人がどう思うかは、
  他人に任せておけば良いのです。


  それよりも重要なのは、
  自分がどう考えるかです。


  自分が優しくないと思い、
  そういう人間になるのが嫌だと思うのなら、
  そうしなければ良いだけです。



  自分自身の考えではなく、
  自分が勝手に常識と考えている他者の価値観に、
  知らず知らずに心を占領されていませんか?


  そういう考え方を続けていると、
  次第に自分が見えなくなってしまいます。


  自分が本当はどう考えているのかが
  わからなくなるのです。


  そして、自分らしくないことを
  無理にやろうとするから、苦しくなってきます。




  心が苦しくなるのは、
  魂が悲鳴をあげているからです。


  「これは私じゃない。
   もっと私らしく生きたいんだ!」


  あなたを救うことができるのは、
  あなた自身なのです。

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2012年03月16日

本当は素晴らしいのに

 ■妬みの気持ち 抑えられない   読売新聞・人生案内より


  今日は、人生相談からです。


  相談者は、20代後半の男子学生。

  自分の性格についての相談です。



  周囲の人とすぐ比べてしまい、
  落ち込んだり妬んだりする自分の性格に
  悩んでいるそうです。


  資格もなく、彼女もいない自分と比較すると、
  周りの人はみなしっかりと自分の道を
  歩んでいるように見えると言います。


  それで周りの人を妬み、
  どうして自分の人生はつまらないのかと
  考えてしまうのだとか。


  誰かが試験を受けたとか
  恋をしたという話を聞くと、
  つい失敗することを願ってしまうようです。


  それでそんな自分が恥ずかしく思うのですが、
  どうにもならないのだとか。


  今の自分がこうなのは、
  自分の努力不足が原因だとは思うものの、
  心が乱れて落ち込んでしまうそうです。


  勉強に手がつかなかったり、
  食事もできなくなったり、
  眠れなくなることもあるとか。


  どういう心持ちで毎日を過ごせば良いか、
  という相談です。



  回答者の野村総一郎さんは、
  相談者は悪循環にはまっていると言います。


  他人と比べて良いところがないと思うから
  妬んでしまう。


  妬むと恥ずかしいことだと思うから
  憂鬱(ゆううつ)になる。


  憂鬱になって何も手につかないから、
  良いところが身につかない。


  この堂々巡りの構造を、
  どこかで打破する必要があると言うのです。


  どの段階で打破しても良いのですが、
  「人を恨むのは恥ずかしい」と思うことを
  やめてはどうかと提案します。


  妬みはすごく人間的な心の動きなので、
  それをなくすのは無理だからと。


  むしろ妬みを起爆剤として、
  少しずつの努力をしてはどうかと言うのです。


  すぐに成果は出ないけれど、
  少しずつの努力をすることが重要だと。


  それを自分の美学だと考えることだ
  と説得します。


  まだ若いのだから、その美学が必ず
  何らかの可能性を生む気がすると、
  アドバイスします。



  たしかに、前向きな気持ちを起こさせる
  という観点からすれば、
  こういうアドバイスもありなのかと思います。


  でも、このアドバイスだけで
  前向きな気持ちを続けられるでしょうか?


  それができないから、今のような状態に
  なってしまったのではないかとも思うのです。



  人生がつまらないのは、
  自分らしく生きていないからです。



  そこに気が付かずに、他に原因を探すから、
  間違ったものを見つけ出すのです。



  自分がつまらないとき、
  他の誰かが楽しそうにしていると、
  それと比較したくなります。


  そのとき、自分は楽しくないけど、
  他人は楽しそうだということが前提になります。


  その前提のもとで、理由を探しているのです。


  だから自分になくて、
  他人にあるものを見つけるのでしょう。



  自分にないものを手に入れようとすると、
  これはなかなか大変です。


  それで、手に入れるための努力へと
  エネルギーが向かわず、
  自分の不遇を嘆くことで
  ごまかそうとしてしまうのです。



  そもそもの考え方が間違っています。


  どうして自分にあるものを
  探さないのですか?


  それを見つけないから、楽しめないのですよ。



  童話「青い鳥」の話をご存知でしょう。


  幸せの青い鳥を探し歩いた挙句、
  それは自分の家の中にいたことに気づくのです。


  「隣の芝生は青い」という
  諺(ことわざ)をご存知でしょう。


  自分にあるものが見えないから、
  隣の方がより素晴らしく見えるという教えです。



  自分の他に何かを求めても、
  変わることはできません。


  努力してもなかなか変わらないことに嫌気がさし、
  自暴自棄にもなりかねません。


  そうではなく、
  自分の中にあるものを探すのです。


  今の自分の中に、
  素晴らしいものを見つけるのです。




  「そんなもの、全然ないよ。」


  そう言いたいかもしれませんが、
  それは違います。



  相談者は高等教育の学生ですよね?


  そんな高等教育を受けることができる人って、
  世の中の何%だと思いますか?


  どう考えても、10%もいないでしょう。


  世界の人の中の上位10%に入る教育を
  受けられる環境が与えられ、
  しかもその能力があることは、
  素晴らしいことではありませんか?



  「そんな発展途上国の人と
   比べられてもねえ...」


  それがおかしいのです。


  私たちは相対的な世界に生きていて、
  いろいろなものと比較することができます。



  その比較によって、
  自分の位置を確認して生きているのです。


  なぜ上とばかり比較して、
  自分は低いと嘆くのですか?


  どうして下と比較して、
  自分は高いと思わないのですか?


  決めているのは、自分自身ですよ。



  赤ちゃんをごらんなさい。


  自分は立てないし、歩けないからと、
  大人と比べて自分を嘆きますか?


  今を存分に楽しんでいるではありませんか。



  自分は素晴らしい存在だと、
  受け入れてあげませんか?



  自分で自分を見捨てたら、
  いったい誰が拾ってくれると言うのでしょう。


  それこそ自分という存在が、
  かわいそうではありませんか?



  それでもわからないなら、
  生活環境を変えることをお勧めします。


  今、都会に住んでいるなら、
  田舎で暮らしてごらんなさい。


  日本に住んでいるなら、
  海外へ行って暮らしてごらんなさい。


  1人で住んでいるなら集団で、
  家族で住んでいるなら1人で
  暮らしてみるのです。


  方法はいくらでもあります。


  これをやらなければ死ぬくらいの覚悟を持って、
  思い切ってやってごらんなさい。



  必ず何かが得られます。


  必ず自分が変わったと実感できます。


  なぜなら、間違いなくあなたは、
  素晴らしい存在だからです。


posted by ジャンメダイ at 16:31| Comment(0) | メルマガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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